敬虔新聞

  • ⒈個人的な「宗教」と「敬虔」の意味
  • ⒉政治と道徳・教育・経済
  • ⒊参考文献とそれらを選択した理由

⒈個人的な「宗教」と「敬虔」の意味

 今から4年以上前の2020年1月頃、当時、外国人技能実習制度の監理団体に専属アルバイトとして勤務していた自分は、一人の実習生の発病と後々の彼の誤解・実習実施者の優柔不断ぶり・監理団体の理事長の欺・暴力団のような労働組合の強行等により、極めて複雑な大事件が起きた。この事件の中で、二人のキリスト教徒がユニオンと別行動をしつつ協働していた。その当日をはじめ、一緒に外食に行っては、談笑しつつ話し合い、そして事件が完全に解決するまで、自分はその二人と積極的に連絡を取り続けた。これは、自分が一個人の判断で、仕事として相手の腹を単独で探る為に行ったことであったが、極めて興味深い想い出を自分は得ることが出来た。

 と言うのも、自分はこの二人のキリスト教徒との交流を通じて、好感を懐いたのであった。南部のベトナム人達で、善良で明朗であり、布教と同時に人助けに極めて熱心に取り組み、外国人技能実習制度と日本の実状に対する批判・同胞達に対する心配・心を育むことの大切を強く主張する等、自分は本当に好感を懐いた。しかしそれと同時に、猛烈な嫌悪感と拒絶反応をも懐いた。彼女達のベトナム戦争と現代ベトナム史の余りにも偏向した歴史観・聖書に関する基本的な知識の著しい欠如・政治-経済-社会-教育に対する無知等、そして極め付けは、協働している労働組合の粗暴ぶりを全く知らない上に、それを説明しても信じれない等、言葉を選ばずに率直に言えば、実に無知で無学であり、洗脳されて、知らずに搾取されている上に悪く使役される、極めて残念な善人達であった。

 以上の経験と想い出から、当時、儒教(取り分け宋明理学)・仏教・道教・アブラハム宗教(取り分けイスラム教)等、そしてカルトとその事件を独学していた自分はより一層「哲学的な有神論」(Philosophical theism)・「実践神学」(ここではキリスト教に限定しない広義の意味としてのもの)・「敬虔」(ここでは個人的で内面的ながらも道徳的で実践的なものを意味する)への興味や関心に追求が強まっていった。

 その後、2023年1月、7年近くぶりにこよなく愛する祖国ベトナムに帰省した自分は、自分の母方親族にカルト教団の教祖の人が居るという現実、未だに多くのベトナム人達が、非科学的あるいは偽科学の、精神的・伝統的・文化的な深い迷信・盲信・狂信に囚われ続けているという社会問題を、改めて学び知った。そしてこの社会問題を、父との対話を通じて洞察すると、改めて、人間の意図的な無知・自己満足や自己陶酔に自己欺・形骸化と形式主義・現実逃避と他律的な生き様等を、痛々しく、そして苦しく学び知った。

 そして今年の2024年9月初旬に、前述した経験と想い出を回顧しつつ、安倍晋三銃撃事件に旧統一教会問題、そして、現代の様々なカルト教団の暗躍と政治の腐敗について改めて勘考すると同時に、人心の荒廃と人間性の喪失に精神病の発病がますます増え続ける現代社会について改めて深思した結果、「最高にして最善、そして真理に至近の宗教は、『教祖も教典も、更には言語も概念も無く、そして欲も我も無く、至誠を以て天を崇拝し、大自然と共生しては、大自然に学んで、大自然と調和する敬虔な私生活』であり、そして敬虔とは、『道徳心と宗教心の実行及び問題意識と危機意識の決行』である。」という哲学者・審美家・思想家・道徳家・信心家・社会人・個人としての結論を出した。そしてこの結論とその志から誕生したのが今回の拙作『敬虔新聞 道徳心と宗教心の実行及び問題意識と危機意識の決行』〈全3巻〉である。

⒉政治と道徳・教育・経済

 自分は、民主主義者・自由主義者・個人主義者・世俗主義者として、政教分離原則・信仰の自由(言うまでもなく棄教や無神論も論含まれる)・宗教差別や宗教迫害の厳禁等を熱誠に支持している。それと同時に、前述した個人的な「宗教」と「敬虔」の意味から、民主国家は人民が主権を有する(はずだが、実際はそうではないことの方が圧倒的大多数である)ということを再考した結果、人民の道徳心の向上・自己教育の実現・経済観念の改善等を成してこそ、人民の参政が確りとしたものに成り、また憲政も名実共に成り、更には民政が本当に始まり、やがて善政に仁政が成り、そして最終的には徳政が成し遂げられると、深く信じている。その信念に基づいて、道徳心と宗教心の実行及び問題意識と危機意識の決行を勧奨する、宗教的で神学的ながらも現実的で実践的な道徳教育・成人教育・社会教育として新聞を、自分は数多く作り出す。その新聞こそが、この拙作『敬虔新聞』である。

 道徳心を宗教的・神学的・形而上学的・哲学的にも洗練し、信仰心を現実的・社会的・倫理的・実践的にも洗練し続けるべきである、と自分は考える。

⒊参考文献とそれらを選択した理由

 以上の結論・志・思想から、自分は、拙作の参考文献は、南インドはタミル地方にて、最も高名であり、そして古来から現代まで膾炙に愛読され続けている詩集・箴言集『ティルックラル』と、ヨハネス・メスナー先生の大著『Das Naturrecht Handbuch der Gesellschaftsethik, Staatsethik und Wirtschaftsethik』(自然法 社会倫理・国家倫理・経済倫理の便覧)にした。

 『ティルックラル』は、その有神論で神学的な思想を確りと深く有しつつも、その道徳論や倫理論に、人生観や国家観等は、極めて世俗主義的で実用主義的な上に、実際的で実践的であることから、拙作の参考文献とした。

 そしてヨハネス・メスナー先生の大著『自然法』は、その主題と副題が示している通り、社会生活・政治現象・経済活動等に関する、広義の体系的な倫理学を確立させると同時に、客在する人間本性の法則を追究しながら力説した大著であることから、拙作の参考文献とした。

 以上のことから、拙作の参考文献は、以下の通りである。

『自然法 社会・国家・経済の倫理』(ヨハネス・メスナー⦅著⦆、水波 朗、栗城 壽夫、野尻 武敏⦅共訳⦆、創文社、1995)

『ティルックラル 古代タミルの箴言集』(ティルヴァッルヴァル⦅著⦆、高橋 孝信⦅訳注⦆、平凡社、1999)

『Thirukkural Parallels of inspiration』(M. Rajaram⦅訳⦆、A. P. J. Abdul Kalam⦅序文⦆、Rupa Publications India Pvt.Ltd、2009)

『Tiruvalluvar the Tirukkural』(Gopalkrishna Gandhi⦅訳⦆、Aleph Book Company、2015)

『Thirukkural (Tamil – English) Pearls of Wisdom From Classical Tamil Series』(Kavikkuyil Dr. Anaivaariyar⦅著⦆、Notion Press、2021)

『The Kural Tiruvalluvar’s Tirukkural』(Thomas Hitoshi Pruiksma⦅訳・序文⦆、Andrew Harvey⦅端書⦆、Archana Venkatesan⦅序論⦆、Beacon Press、2022)

 拙作が、前述した通り、少しでも多くの読者の皆様方に、その道徳心と宗教心を涵養しては、その実行を勧奨し、それと同時に、少しでも多くの読者の皆様方の問題意識と危機意識を深めては、その決行を勧奨することに誠に成功することを、切実に願う。

こよなく愛する我が祖国ベトナムと日本への忠愛を以て 2024/09/21 21:55

コメントを残す