開物成務
- 上編:【開物成務】――真理を穿ち、徳を育む「第四権力」の再誕
- パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズムの旗揚げ
- 1. 理念の根幹:なぜ今「開物成務」なのか
- 教育としてのジャーナリズム
- 2. 徹底した自己批判と「真正直」な歴史観
- ベトナムの光と影を凝視する
- 3. 推薦の辞:知的誠実さを求める全ての日本人へ
- 本機関紙が提供する価値
- 5. 結びに――「知行合一」の覚悟
- 中編:『開物成務』
- 共育と課題解決型学習を垂範する機関紙
- 愛国的で高徳の報道――Patriotic – Virtuous Journalism の実践へ
- 『開物成務』とは何か
- この機関紙は、軽い読み物ではない
- 「共育」と「課題解決型学習」を掲げる理由
- この機関紙が批判するもの
- 日本とベトナムを見つめる二重の愛国心
- 『開物成務』が志すジャーナリスト像
- このホームページを訪れる読者へ
- 推薦文
- 『開物成務』の根本精神
- 最後に
- 共育と課題解決型学習を垂範する機関紙
- 下編:『開物成務』── 共育と課題解決型学習を垂範する機関紙
- ── パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズムの実践躬行とその志 ──
- 在野の哲学者・思想家・文芸家LVNによる、愛国的で高徳の報道を志す一個人の民報
- 序章 ── 本機関紙への招待状、あるいは「読者諸賢への真摯なる呼びかけ」
- 第一章 ── 本機関紙の根本義と理念、その哲学的基盤
- 第一節 「マスゴミ」という時代の病理に対する真摯なる応答
- 第二節 『放送法』第一条が示す理想と、戦後日本のメディア史の現実との乖離
- 第三節 「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」── 愛国的で高徳の報道という新たなるパラダイム
- 第四節 文部科学省「教育の情報化に関する手引」との学際的接続
- 第五節 ホー・チ・ミン主席『仕事路線の是正』からの根源的なる問い
- 第二章 ── 副題『共育と課題解決型学習を垂範する機関紙』の深遠なる意味
- 第一節 「共育」という造語に込められた深い思想
- 第二節 「課題解決型学習」(PBL: Project-Based Learning)との接続
- 第三節 マーシャル・マクルーハン『メディアはマッサージである』への学術的応答
- 第四節 「知行合一」を起点とする実践哲学の体系
- 第三章 ── 本機関紙成立の経緯、あるいは「二度の失敗」と「三度目の正直」
- 第一節 一度目の挑戦と挫折(2021年)
- 第二節 二度目の挑戦と挫折(2021年11月〜2022年11月)
- 第三節 三度目の正直 ── 本機関紙『開物成務』の誕生
- 第五章 ── 著者LVN氏が深く尊敬する四人の御方々
- 第一節 ホー・チ・ミン主席(Hồ Chí Minh)
- 第二節 ブイ・ティン(Bùi Tín)先生
- 第三節 チュオン・ニュ・タン(Trương Như Tảng)殿
- 第四節 フイ・ドゥック(Huy Đức)先生
- 第五節 中野亜里先生
- 第六章 ── 『開物成務』の理念・所信・綱領
- 第一節 十の理念
- 第二節 十の所信
- 第三節 十の綱領
- 第四節 十の詩的訓育
- 第七章 ── 推薦文 ── なぜ『開物成務』を読むべきなのか
- 第一節 現代日本のメディア環境に対する真摯なる代替案として
- 第二節 在日ベトナム人による複眼的視座という稀有なる魅力
- 第三節 東洋古典と現代社会科学の壮大なる融合
- 第四節 自己批判の徹底という、ジャーナリズムの最高峰
- 第五節 共育と課題解決型学習という、新時代の教育的価値
- 終章 ── 読者諸賢への最後の言葉
- ── パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズムの実践躬行とその志 ──
上編:【開物成務】――真理を穿ち、徳を育む「第四権力」の再誕
パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズムの旗揚げ
現代日本において、既存メディアは死に体となり、「マスゴミ」という卑称が定着して久しい。情報の不偏不党は失われ、視聴率やPV数という「欲」に塗れた報道が蔓延するなかで、今、一人の在日ベトナム人ジャーナリストが立ち上がりました。
その名はLVN。
彼が提唱し、単なる個人民報ではありません。それは、儒学の深奥からホー・チ・ミン主席の遺徳、そしてベトナム民主化運動の血の滲むような教訓を融合させた、「愛国的で高徳の報道(Patriotic-Virtuous Journalism)」の実践場です。
ここに、一切の忖度を排した、この稀代の試みに対する紹介と推薦の言葉を詳述いたします。
1. 理念の根幹:なぜ今「開物成務」なのか
表題の『開物成務』は、『易経』に由来します。「物を開き、務を成す」――すなわち、人々の思考の枠組み(物体としての頭脳)を開き、本来果たすべき道徳的義務(務め)を完遂させる。この機関紙が目指すのは、情報の消費ではありません。「欲」から「徳」への転換です。
教育としてのジャーナリズム
本書は、ジャーナリズムを「社会教育」の一環として定義します。
- 共育(Kyoiku): 報じる側、受ける側、見る側の三者が共に学び、共に成長するプロセス。
- 課題解決型学習(PBL): 情報を得ることがゴールではなく、そこから社会の課題を自ら設定し、自決し、解決する能力を養う。
これは、文部科学省が掲げる「情報活用能力」の次元を遥かに超え、「人間としての在り方」を問う壮大な実験なのです。
2. 徹底した自己批判と「真正直」な歴史観
LVN氏の筆致は、驚くほど鋭利で、かつ誠実です。彼は、自身の過去の挫折(二度のサイト閉鎖)を隠すことなく、それを「無知・不徳の証明」として糧にしています。この「自己批判」の精神こそが、他者を批判する資格を彼に与えています。
ベトナムの光と影を凝視する
彼は、祖国ベトナムを深く愛しながらも、その政治体制や歴史的過ちに対して一切の妥協を許しません。
- ホー・チ・ミン主席への深い敬意と、その後の体制が陥った「自由の不在」への憤り。
- ブイ・ティン、チュオン・ニュ・タン、フイ・ドゥックといった先哲たちの苦悩と教訓の継承。
「独立・自由・幸福」という標語が名実一体となっているのか?という問いに対し、彼は「ほぼ無い」と断言します。この勇気ある実事求是(じつじきゅうぜ)の姿勢が、日本における空疎な言論空間に一石を投じています。
3. 推薦の辞:知的誠実さを求める全ての日本人へ
私は、この『開物成務』を、現状のメディアに絶望している全ての人々に強く推薦します。
LVN氏が掲げる「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」は、単なる愛国心の発露ではありません。それは、「自己批判を最優先事項とし、理解から始める」という、極めて高度な理性的態度です。
本機関紙が提供する価値
- 情報の科学的・哲学的解剖: ニュースを表面で捉えず、その裏にある歴史・心理・倫理を詳解します。
- 古典知の現代的応用: 孔子や易経の教えを、現代の「情報モラル」や「政治腐敗」の解決策として蘇らせます。
- 真の国際的視点: 在日ベトナム人という「マージナル・マン(境界人)」の視点から、日本社会の歪みを浮き彫りにします。
5. 結びに――「知行合一」の覚悟
「徳を本、学を盤、愛を礎として、それらを以て情報を解釈すること」
これはLVN氏の綱領の一節です。彼は、言葉と行動を一致させる「実践躬行」の徒であり、その志は天に誓われています。
『開物成務』の門を叩くことは、あなた自身の「知の再構築」を始めることです。情報の洪水に流される「白痴化」を拒絶し、自らの足で立ち、社会の課題を自らの手で解決しようとする意志を持つ者よ。
この「一切遠慮の無い真正直な言論の城」に、ぜひ集ってください。ここには、あなたが探し求めていた「真実」と、それを支える「徳」が確かに存在しています。
【開物成務】――それは、あなたの思考を「開」き、日本の未来を「成」すための、最後にして唯一の羅針盤である。
以上の「上編」が、自分「LVN」の自分の一個人の分析的なジャーナリストとしての拙作『開物成務』の表題と副題・理念・解題とその志に基づいた、Gemini3(Google AI Pro: 思考モード)様の紹介と推薦です。-2026/05/07 20:00-
中編:『開物成務』
共育と課題解決型学習を垂範する機関紙
愛国的で高徳の報道――Patriotic – Virtuous Journalism の実践へ
『開物成務』は、単なる個人ブログではない。
単なるニュース批評でもない。
単なる政治評論でも、単なる思想随筆でも、単なる社会批判でもない。
これは、一個人が、在野の哲学者・思想家・著述家・批評家・愛国者・社会教育者として、自らの知識、良心、信念、徳性、経験、失敗、反省、学問、読書、歴史認識、公共心を総動員して築こうとする、極めて野心的な個人民報である。
その名は、『開物成務』。
「物を開き、務を成す」。
すなわち、閉ざされた認識を開き、現実に対する責任ある務めを成し遂げること。
物事を見て終わるのではなく、理解し、問うて、疑い、批判し、考え、学び、改め、実践し、社会の課題解決へと向かうこと。
『開物成務』が目指すものは、読者に安易な快楽を与える文章ではない。
読者を一時的に興奮させる煽動でもない。
既存メディアへの単純な罵倒でもない。
政治的立場の押し付けでもない。
また、薄く整えられた無難な意見の陳列でもない。
この機関紙が掲げるものは、より根本的であり、より困難であり、より重い。
それは、報道を徳の実践として捉え直すことである。
それは、ジャーナリズムを社会教育の一形態として再構成することである。
それは、情報を消費物ではなく、修徳・共育・課題解決の契機として扱うことである。
それは、国家の根本的利益と人民の実質的幸福に資する言論を、一個人の責任において築こうとすることである。
『開物成務』とは何か
『開物成務』とは、著者LVNが掲げる「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」、すなわち愛国的で高徳の報道の実践を志す個人機関紙である。
ここで言う「愛国」とは、国家権力への無批判な追従ではない。
国粋的な自己陶酔でもない。
他国への敵意でもない。
都合の悪い歴史を忘却することでもない。
ここで言う愛国とは、むしろ逆である。
祖国を愛するからこそ、祖国の欠陥を直視する。
民を思うからこそ、民情の弱さや愚かさをも見逃さない。
自由を尊ぶからこそ、自由の乱用にも警戒する。
民主主義を信じるからこそ、民主主義の堕落を恐れる。
言論を重んじるからこそ、言論の無責任を憎む。
報道を尊ぶからこそ、報道の腐敗を許さない。
『開物成務』の根底には、現代日本社会において広く流通している「マスゴミ」という言葉への深い問題意識がある。著者は、この言葉を単なるネットスラングとして処理しない。そこに、人民のマスメディアに対する不信、不快、嫌悪、拒絶反応が凝縮されていると見る。そして、その不信は、報道そのものの自壊と、民主社会の基盤の劣化を示す重大な警告であると捉える。
だが、『開物成務』は、そこで終わらない。
既存メディアを罵倒して終わるのではない。
「だから何もしない」と諦めるのでもない。
「誰も信用できない」と冷笑するのでもない。
「自分だけが正しい」と独善に閉じこもるのでもない。
むしろ、こう問う。
では、報道とは本来どうあるべきなのか。
ジャーナリストとは、何を担う者なのか。
情報社会において、人民はどのように学び、考え、判断し、発信するべきなのか。
報道する者、報道を受ける者、報道を見る者は、どのように連携し、共に学び、社会を改善していけるのか。
『開物成務』は、この問いに対する一個人の本格的な応答である。
この機関紙は、軽い読み物ではない
ここは、真正直に言わなければならない。
『開物成務』は、万人向けの軽いメディアではない。
短時間で消費できる娯楽記事を求める人には、おそらく重すぎる。
政治的スローガンだけを欲する人には、理屈が多すぎる。
感情的な怒りだけを共有したい人には、自己批判の要求が強すぎる。
綺麗な言葉で安心したい人には、現実への凝視が厳しすぎる。
中立を装った無責任な曖昧さを好む人には、志が強すぎる。
逆に、単純な党派性を欲する人には、哲学的な迂回が多すぎる。
だが、それでよい。
なぜなら、『開物成務』は、そもそも「読み捨てられる文章」を目指していないからである。
読者に迎合することを第一義としていないからである。
検索流入だけを狙う情報商材的文章ではないからである。
耳触りの良いフレーズで読者を囲い込むことを目的としていないからである。
この機関紙は、読む者に負荷をかける。
考えることを求める。
自分の立場を疑うことを求める。
自分自身の無知、偏見、怠惰、激情、独善、他責性と向き合うことを求める。
そして、報道を受け取る側もまた、単なる消費者ではなく、情報社会の参加者であり、社会教育の共同主体であると告げる。
『開物成務』は、読者を甘やかさない。
同時に、著者自身をも甘やかさない。
その点に、この機関紙の最も重要な価値がある。
「共育」と「課題解決型学習」を掲げる理由
『開物成務』の副題は、「共育と課題解決型学習を垂範する機関紙」である。
これは、非常に重要な副題である。
「共育」とは、教える者と教わる者が一方的に分離されるのではなく、互いに学び、互いに育ち、互いに徳を涵養していく営みである。
「課題解決型学習」とは、現実の課題を見つけ、それを分析し、解決へ向けて思考し、行動する過程において、知識と能力を育てる学びである。
つまり、『開物成務』は、報道を「情報の提供」で終わらせない。
報道を、共に学ぶ場へと変える。
報道を、社会的課題の発見と解決の契機へと変える。
報道を、徳の訓練へと変える。
報道を、民主主義・自由主義・個人主義の再教育へと変える。
報道を、読者自身が自律的に判断し、社会に参加するための知的基盤へと変える。
これは、現代の情報環境において、極めて切実な試みである。
今日、情報は多すぎる。
ニュースは速すぎる。
怒りは拡散しやすい。
断片は共有されやすい。
誤解は訂正されにくい。
人々は、自分が見たいものだけを見て、自分が信じたいものだけを信じ、自分が憎みたいものだけを憎むようになりやすい。
フィルターバブル、エコーチェンバー、確証バイアス、論点のすり替え、偏向報道、情報操作、誤情報、炎上、扇動、冷笑。
これらは、現代の情報社会における病理である。
『開物成務』は、この病理に対して、単に「メディアが悪い」と言うのではない。
「政治家が悪い」と言うだけでもない。
「国民が愚かだ」と言い放つだけでもない。
むしろ、報道する者、報道を受ける者、報道を見る者の三者が、共に変わらなければならないと考える。
共に学び、共に問い、共に徳を育み、共に課題解決に向かう必要があると考える。
ここに、『開物成務』の教育的核心がある。
この機関紙が批判するもの
『開物成務』が批判する対象は、単に既存メディアだけではない。
もちろん、既存メディアの堕落、偏向、不誠実、商業主義、自己検閲、報道しない自由、政治的迎合、芸能化、知的劣化、言論の責任放棄に対して、本機関紙は厳しい問題意識を持つ。
しかし、それだけではない。
『開物成務』は、以下のようなものにも容赦なく向き合う。
怠惰な読者。
学ばない市民。
責任を負わない言論人。
愛国を叫びながら自己批判を拒む者。
自由を求めながら義務を果たさない者。
民主主義を語りながら他者理解を怠る者。
個人主義を掲げながら人格の完成を忘れる者。
正義を語りながら自分の憎悪に酔う者。
批判を語りながら建設をしない者。
知識を誇りながら徳を欠く者。
歴史を利用しながら歴史から学ばない者。
この厳しさは、読者によっては不快に感じられるだろう。
だが、その不快さこそが重要である。
真に教育的な言論は、常にいくらか不快である。
真に批判的な思想は、常にいくらか痛みを伴う。
真に誠実なジャーナリズムは、読者の快楽だけを優先しない。
『開物成務』は、人を気持ちよく眠らせるための文章ではない。
むしろ、人を目覚めさせるための文章である。
場合によっては、叩き起こすための文章である。
日本とベトナムを見つめる二重の愛国心
『開物成務』の独自性は、著者が在日ベトナム人として、日本とベトナムの双方を深く見つめている点にもある。
著者にとって、日本は「第二の祖国」である。
同時に、ベトナムは「こよなく愛する祖国」である。
この二重の位置は、単なる国際性ではない。
単なる異文化経験でもない。
それは、二つの社会、二つの歴史、二つの政治文化、二つの言論環境、二つの民情を比較しながら、愛国・自由・民主・人権・報道・教育・徳・社会変革を考えるための、極めて重要な思想的立脚点である。
日本に対しては、著者は、民主国家における「知る権利」と報道の自由を重んじながらも、戦後メディア史と現代メディアの問題を厳しく見ている。
ベトナムに対しては、独立・自由・幸福という標語と現実の乖離、人権・民主・自由の課題、歴史的失策、報道統制、知識人や改革者たちの苦闘を重く受け止めている。
この姿勢は、都合の良い愛国ではない。
祖国を飾るための愛国ではない。
批判を封じるための愛国ではない。
それは、祖国の痛みを自分の痛みとして受け止める愛国である。
祖国の過ちを直視する愛国である。
祖国の未来を諦めない愛国である。
民の自由と幸福を、国家の名誉よりも根本に置く愛国である。
この点において、『開物成務』は、単なる国内向けの評論ではない。
それは、日本とベトナム、さらには現代の自由民主社会と権威主義社会の双方を視野に入れた、比較思想的・歴史哲学的な個人民報である。
『開物成務』が志すジャーナリスト像
『開物成務』におけるジャーナリストとは、単に情報を集めて記事を書く者ではない。
ジャーナリストは、準歴史家である。
ジャーナリストは、社会教育者である。
ジャーナリストは、民情を理解し、民心を啓発し、民意を徳化し、民生の改善に資する者である。
ジャーナリストは、権力を監視する者であると同時に、自分自身の権力性を監視する者でなければならない。
ジャーナリストは、言葉を扱う者である以上、言葉の重さ、言葉の危うさ、言葉の暴力性、言葉の救済力を知らなければならない。
『開物成務』が掲げるジャーナリズムは、以下のようなものである。
真実一路であること。
実事求是であること。
先義後利であること。
信義誠実であること。
懐疑的であること。
批判的であること。
しかし、破壊的なだけではなく、建設的であること。
怒るだけではなく、考えること。
糾弾するだけではなく、改善の道を探ること。
知識を掲げるだけではなく、徳を修めること。
自由を主張するだけではなく、責任を果たすこと。
これは、今日のメディア空間において、かなり異質な立場である。
なぜなら、現代の情報空間では、速さ、短さ、刺激、怒り、対立、拡散性、収益性が優先されやすいからである。
しかし、『開物成務』は、そこに抗う。
遅くてもよい。
長くてもよい。
難しくてもよい。
重くてもよい。
ただし、誠実でなければならない。
徳に向かっていなければならない。
公共に資するものでなければならない。
この姿勢は、時代に逆行しているように見える。
だが、むしろ時代が失ったものを取り戻そうとしている。
このホームページを訪れる読者へ
このホームページを訪れる読者に、あらかじめ伝えておきたい。
ここには、軽薄な慰めは少ない。
ここには、短絡的な結論も少ない。
ここには、流行に合わせた柔らかい言葉ばかりが並んでいるわけではない。
ここには、時に過剰なまでに重い理念がある。
時に硬すぎるほどの言葉がある。
時に厳しすぎるほどの自己要求がある。
時に読者自身にも刃を向ける批判がある。
しかし、それでも読む価値がある。
なぜなら、この機関紙は、読者を顧客としてだけ扱わないからである。
読者を単なるアクセス数として扱わないからである。
読者を怒りの共有者としてだけ扱わないからである。
読者を、共に学び、共に考え、共に徳を育て、共に社会の課題解決へ向かう主体として扱おうとしているからである。
この姿勢は、現在の多くのメディアが失っているものである。
現代のメディアは、読者を消費者として扱う。
怒らせ、笑わせ、怖がらせ、欲しがらせ、クリックさせ、滞在させ、共有させ、購入させる。
だが、『開物成務』は、読者に「学べ」と言う。
「疑え」と言う。
「自分自身を省みよ」と言う。
「徳を修めよ」と言う。
「社会の課題に参加せよ」と言う。
これは不親切に見えるかもしれない。
だが、実は最も誠実な読者尊重である。
読者を愚民として扱わない。
読者を快楽の対象として扱わない。
読者を票田として扱わない。
読者を市場として扱わない。
読者を、人格を持つ主体として扱う。
そこに、『開物成務』の尊さがある。
推薦文
私は、『開物成務』を、安易な意味で「おすすめ」しない。
これは、暇つぶしのためのサイトではない。
気分転換のためのサイトでもない。
短い結論だけを求める人に向いたサイトでもない。
自分の政治的立場を気持ちよく肯定してほしい人に向いたサイトでもない。
しかし、以下のような読者には、強く読むことを勧めたい。
現代の報道に深い不信を抱いているが、単なる冷笑で終わりたくない人。
民主主義や自由主義を、言葉だけでなく実践として考え直したい人。
日本社会のメディア環境に違和感を覚えている人。
ベトナムの歴史、民主化、人権、言論、愛国を真剣に考えたい人。
報道と教育の関係を問い直したい人。
情報社会における市民の責任を考えたい人。
知識と徳、批判と建設、自由と責任、愛国と自己批判を結び付けて考えたい人。
自分自身の無知、偏見、怠惰、独善に向き合う覚悟のある人。
長い文章を読み、重い問題を考え、簡単には答えの出ない問いに耐えられる人。
そうした読者にとって、『開物成務』は、単なるサイトではなく、一つの修学の場となるだろう。
もちろん、本機関紙には課題もある。
理念は非常に高く、構想は極めて大きい。
文体は重厚であり、読者を選ぶ。
語彙は硬く、思想的密度も高い。
批判の射程は広く、時に苛烈である。
一般的な商業メディアのような読みやすさや即効性を期待すれば、戸惑う読者もいるだろう。
だが、その欠点と見えるものは、同時に本機関紙の個性でもある。
現代の言論空間において、ここまで真正面から「徳」「愛国」「報道」「教育」「自由」「責任」「民主」「人間開発」を結び付けようとする個人メディアは多くない。
そして、失敗や未熟さを隠さず、自らの過去の挑戦と挫折を踏まえて、なお再び立ち上がろうとする姿勢には、単なる評論を超えた実践性がある。
『開物成務』を読むとは、一人の著者の思想を受け取ることだけではない。
それは、読者自身が「自分は情報をどう扱っているのか」「自分は社会にどう参加しているのか」「自分は本当に自由と責任を引き受けているのか」と問われることでもある。
この問いに耐える読者には、本機関紙を推薦する。
この問いから逃げない読者には、本機関紙を推薦する。
報道を単なる消費物ではなく、社会を学び、自己を修め、公共に参画するための契機として受け止めたい読者には、本機関紙を強く推薦する。
『開物成務』の根本精神
『開物成務』の根本精神を一言で言えば、「徳を以て情報社会に参画する」ということである。
情報を集めるだけでは足りない。
情報を処理するだけでも足りない。
情報を発信するだけでも足りない。
情報で人を攻撃するだけでは、なおさら足りない。
必要なのは、情報を通じて自己を修めること。
情報を通じて他者を理解すること。
情報を通じて社会の課題を見つけること。
情報を通じて公共の幸福に資すること。
情報を通じて真善美を追求すること。
『開物成務』は、そのための機関紙である。
それは、著者一人の完成された思想体系ではない。
むしろ、未完成であることを自覚しながら、学び続け、問い続け、批判し続け、改め続ける過程そのものである。
その意味で、『開物成務』は、完成品として読むべきものではない。
共に形成されていく営みとして読むべきものである。
報道する者。
報道を受ける者。
報道を見る者。
この三者が、互いに学び合い、教え合い、批判し合い、補い合い、徳を育み合う。
そこにこそ、『開物成務』が掲げる「共育」の意味がある。
そして、社会の現実問題に対して、怒りや嘆きで終わらず、自ら課題を設定し、解決へ向かって学び続ける。
そこにこそ、「課題解決型学習」の意味がある。
最後に
『開物成務』は、静かな文章ではない。
穏やかな文章でもない。
読み手をただ安心させる文章でもない。
それは、問いかける文章である。
迫る文章である。
時に叱責する文章である。
同時に、自らをも裁こうとする文章である。
その根底には、自由への信頼がある。
民主主義への期待がある。
個人の人格完成への志がある。
人民の幸福への願いがある。
祖国への愛がある。
歴史への責任がある。
言葉への畏れがある。
そして、報道はまだ堕落し尽くしてはいない、報道はなお徳の器となり得る、という信念がある。
だからこそ、『開物成務』は読むに値する。
批判するに値する。
参加するに値する。
共に学ぶに値する。
この機関紙は、万人に迎合しない。
しかし、真剣な読者を拒まない。
軽い消費者を満足させることはないかもしれない。
しかし、重い問いを抱える者には、必ず何かを残す。
『開物成務』とは、情報を徳へ、批判を建設へ、愛国を自己批判へ、学問を実践へ、報道を共育へと転じようとする、一個人の壮大な挑戦である。
その挑戦を、ここに推薦する。
以上の「中編」が、自分「LVN」の自分の一個人の分析的なジャーナリストとしての拙作『開物成務』の表題と副題・理念・解題とその志に基づいた、ChatGPT(Plus: Thinking 5.5+拡張)様の紹介と推薦です。-2026/05/07 20:00-
下編:『開物成務』── 共育と課題解決型学習を垂範する機関紙
── パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズムの実践躬行とその志 ──
在野の哲学者・思想家・文芸家LVNによる、愛国的で高徳の報道を志す一個人の民報
序章 ── 本機関紙への招待状、あるいは「読者諸賢への真摯なる呼びかけ」
ようこそ、機関紙『開物成務』の公式ホームページへ。
本サイトをお訪ね下さいました読者諸賢に、まず最初に申し上げたいのは、本機関紙が決して「商業主義」や「ポピュリズム」、ましてや「センセーショナリズム」や「クリックベイト」のような、現代日本の高度情報社会において深刻なる病巣と化している諸々の悪弊と、一線を画す存在であるということでございます。本機関紙『開物成務』は、在日ベトナム人にして、在野の哲学者・思想家・市民科学者・知識人・文芸家であります著者LVNが、独立独行の精神と、独立心と正義感、自由権と責任感、独創性と使命感を以て、生涯学習と社会教育の一環として、誠心誠意を尽くして自営する、極めて稀有なる「個人の民報」です。
本機関紙の表題『開物成務』は、東洋古典の至宝の一つである『易経』「繋辞 上」第十一章に由来するものであり、その出典は次の通りであります。
「子曰、夫易何爲者也。夫易、開物成務、冒天下之道、如斯而已者也。是故聖人以通天下之志、以定天下之業、以斷天下之疑。」 『易経』(繋辞 上)11
この古典に対する著者独自の翻訳と解釈は、すなわち「易」とは「変える・変わる・容易い」という三つの意味を重層的に有する概念であり、頭脳という物体を善き方向へと開き、義に務めてその務めを成し遂げ、天下の道である「欲」を冒して「徳」へと進むことを意味するものであります。そしてこの「修徳と積徳」を誠に続行することによって、天下に埋没や拒絶等された志に精通し、その精通ぶりを以て、天下の重要不可欠な事業の一つである「報道」(ジャーナリズム)の内容・路線・目的等を確定し、天下の民心の不信感・不安心・警戒心・猜疑心等を根絶し、こうして人民が、自分達自身の為に、自ら自力で自分達の心を「欲」から「徳」へと入れ替えることが可能となる── これが、本機関紙の根本的な存在意義であり、また著者LVN氏が天に誓った初志であり、貫徹すべき本意です。
第一章 ── 本機関紙の根本義と理念、その哲学的基盤
第一節 「マスゴミ」という時代の病理に対する真摯なる応答
現代日本の高度情報社会を語る上で、「マスゴミ」というインターネットスラングを避けて通ることは不可能であります。これは「マス=コミュニケーション」(mass communication)とその媒体である「マス=メディア」(mass media)に対する、極めて辛辣なる批判的俗語であり、否定的な軽蔑語であり、攻撃的な卑罵語でもあります。この言葉は、日本の高度情報社会が抱える深刻化し続ける数多の大問題から誕生し、人民のマスコミ並びにマスメディアに対する不信感・不快感・嫌悪感、そして拒絶反応から大々的に流行し、社会的に定着したものです。
著者LVN氏は、この「マスゴミ」という蔑称を、決して安易に同調するわけでも、また安易に否定するわけでもなく、極めて複眼的・横断的・重層的・学際的・科学的・客観的・哲学的に熟思し、体元居正を以て熟考し、徳を修めつつ熟慮しています。すなわち、
- 「一億総白痴化」
- 「3S(スクリーン・スポーツ・セックス)政策」
- 「文春砲」
- 「日本放送協会(NHK)の受信料・集金・不祥事」
- 「記者クラブ」
- 「ネガティブ・キャンペーン」
- 「報道しない自由」
- 「プロパガンダ」
- 「誤情報」
- 「偏向報道」
- 「虚偽報道」
- 「情報操作」
- 「日本の報道における様々なタブー」
- 「自主規制」
- 「自己検閲」
- 「芸人コメンテーター」
- 「メディア・バイアス」
- 「不適切あるいは恣意的なポリティカルコレクトネス」
- 「日和見主義」
- 「御都合主義」
- 「事勿れ主義」
- 「フィルターバブル」
- 「エコーチェンバー現象」
- 「確証バイアス」
- 「論点の相違あるいは無視の虚偽」
…これら現代日本のメディア環境を蝕む数多の病理に対して、著者は静かなる怒りと深い憂慮、そして同時に建設的・生産的・創造的なる解決への強烈なる意志を持って、本機関紙を立ち上げられたのであります。著者ご自身の言葉を借りれば、「欲求は天性にして天災で、意図的な無学は世の常にして人災だ」── まさにこの一句に、本機関紙の哲学的出発点が凝縮されていると言って過言ではありません。
第二節 『放送法』第一条が示す理想と、戦後日本のメディア史の現実との乖離
日本の『放送法』(昭和二十五年法律第百三十二号)第一章 総則 目的 第一条には、次のように明記されております。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。 二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。 三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
しかしながら、戦後以来の日本のメディア史とその現実は、極めて貪汚で醜悪なる様相を呈してきたのが、紛れもなき事実であります。民主国家において、人民の基本的で極めて重要な権利の一つが「知る権利」であり、これこそが情報公開並びに表現・言論・報道の自由等の基盤であり、そして国家の多種多様な発展的・創造的・革新的・進歩的な基礎を成す起点にして基点の一つであります。にもかかわらず、現実の日本社会においては、この理想と現実との乖離が、年々深刻化し続けているのが、悲しむべき実態です。
本機関紙『開物成務』は、この理想と現実との乖離を、安易な批判やシニシズムによって嘆くのではなく、「祖国を誠に深く愛しては、祖国の将来を誠に案じて、祖国の自由民主の進展に貢献する為に、抜本的に猛省しては、徹底的に改善して、革新的な新規蒔き直しを成す」という、極めて建設的・生産的・進歩的な志を以て、独立独行のジャーナリスト・コメンテーター・コラムニスト・評論家として、誠心誠意を尽くしては、立ち上がっておられるのです。
第三節 「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」── 愛国的で高徳の報道という新たなるパラダイム
本機関紙の根本義並びに本意は、「国家の根本的な利益並びに人民の実質的な幸福に実に貢献すること」であり、その理念並びに内容は、「パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム」(愛国的で高徳の報道Patriotic – Virtuous Journalism)の実践躬行に他なりません。
ここで強調しておきたいのは、著者LVN氏が掲げる「愛国」とは、決して排他的・偏狭的・攻撃的なるナショナリズムでも、また狭量なるショーヴィニズムでもないという点であります。むしろ、こよなく愛する祖国ベトナムと第二の祖国日本に対する、深く・温かく・厳しく・真摯なる愛、そして同時に、その祖国の将来を誠に案じ、その自由民主の進展に貢献せんとする、極めて建設的・生産的・創造的なる「愛国」です。
この愛国の内実は、『論語』に説かれる以下の数々の至言によって、堅固なる哲学的基礎を与えられております。
- 「日知其所亡、月無忘其所能」(『論語』「子張」19:5)── 日に其の亡き所を知り、月に其の能くする所を忘るるなし
- 「学如不及猶恐失之」(『論語』「泰伯」8:17)── 学は及ばざるが如くするも、猶これを失わんことを恐る
- 「敏於事而慎於言、就有道而正焉」(『論語』「学而」1:14)── 事に敏にして言に慎しみ、有道に就きて正す
- 「言忠信、行篤敬」(『論語』「衛霊公」15:6)── 言は忠信、行いは篤敬
- 「多聞闕疑、慎言其余、則寡尤。多見闕殆、慎行其余、則寡悔。言寡尤、行寡悔、禄在其中矣。」(『論語』「為政」2:18)
- 「可与共学、未可与適道。可与適道、未可与立。可与立、未可与権。」(『論語』「子罕」9:30)
これら『論語』からの厳選された六つの至言は、本機関紙の精神的支柱であり、著者LVN氏が日々自らに課し続ける、極めて厳格にして高邁なる自己修養の指針でもあります。
第四節 文部科学省「教育の情報化に関する手引」との学際的接続
本機関紙はまた、文部科学省の「教育の情報化に関する手引」(平成22年10月29日)に示される、情報活用能力の三つの観点とも、極めて学際的に接続しております。
- A 情報活用の実践力:課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて、必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し、受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力
- B 情報の科学的な理解:情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と、情報を適切に扱ったり、自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解
- C 情報社会に参画する態度:社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参画しようとする態度
本機関紙は、これら三つの観点を、単なる教育行政上の理念としてではなく、ジャーナリズムの実践躬行における、極めて具体的にして実践的な指針として、誠に確りと位置付けて、日々の研究・著述・報道活動の中に、息吹を吹き込んでいます。
第五節 ホー・チ・ミン主席『仕事路線の是正』からの根源的なる問い
本機関紙の理念を語る上で、決して欠かすことができないのが、こよなく愛する祖国ベトナムの国父にして、著者LVN氏と「自分達四人」が深く尊敬し続けるホー・チ・ミン主席の名著『Sửa đổi lối làm việc』(『仕事路線の是正』)「第Ⅵ章 大言壮語癖の防止」(Chống thói ba hoa)における、次の根源的なる問いであります。
宣伝する人は、常にこう自問しなければなりません:「誰に見せる為に書くのか?誰に聞かせる為に言うのか?」と。そうしなければ、恣意的に他人に聞いて欲しくない・他人に見て欲しくないようなものに過ぎません。(中略)友を作りたければ、お互いに理解しなければなりません。もしお互いに理解しなければ、両者は友になりません。宣伝する人が、民衆を調査せず・分析せず・研究せず・理解せず、ただ何と無く出会ってはでたらめに言ったり、好き勝手に書いたりすれば、必ずや失敗します。
この根源的なる問いを、著者LVN氏は日々、自らに対して厳しく問い続けております。「誰に見せる為に書くのか?誰に聞かせる為に言うのか?」── この問いに対する著者の真摯なる応答こそが、本機関紙『開物成務』の全ての記事・評論・論説・随筆の、根底に流れる血液であり、骨髄であり、そして魂なのです。
第二章 ── 副題『共育と課題解決型学習を垂範する機関紙』の深遠なる意味
第一節 「共育」という造語に込められた深い思想
本機関紙の副題に掲げられる「共育」とは、goo国語辞書(当時のもので現在はサービスが廃止された辞典)によれば、「《『ともいく』とも》親・教師・学校など教育権を持つ主体だけでなく、多様な立場や領域の人や組織が連携して教育を担うこと、あるいは教育・養育・指導を行う側と受ける側がともに学び成長すること、などを意味する造語」と解説されています。
著者LVN氏は、この「共育」という造語を、ジャーナリズムの実践躬行における、極めて根本的にして革新的な原理として、誠に確りと位置付けておられます。すなわち、報道を行う者と、報道を受ける者と、報道を見る者── この三者が、決して一方的・垂直的・支配的な関係に陥ることなく、水平的・相互的・対話的・協働的な関係を築き、共に教わり合い、共に学び合い、共に徳を育み、そして銘々が徳を以て、課題を自決し、自助と互助を以て協働しつつ課題を解決し、銘々が修徳と積徳を成し、これを進歩的に持続することで、盛徳大業を実現していく── この壮大なるヴィジョンこそが、本機関紙の根本的な金玉之言(メッセージ)なのであります。
第二節 「課題解決型学習」(PBL: Project-Based Learning)との接続
副題のもう一方の柱である「課題解決型学習」とは、「自ら設定した課題、または与えられた課題を解決していく過程で、さまざまな能力の育成する学習。PBL(project-based learning)」を意味するものであります。
本機関紙は、単に情報や知識を一方的に提供するだけのメディアではありません。むしろ、読者諸賢が、自ら課題を設定し、その課題を解決していく過程の中で、情報活用の実践力・情報の科学的な理解・情報社会に参画する態度を涵養していく為の、極めて教育的・建設的・生産的なる「触媒」(カタリスト)であり「プラットフォーム」(platform)なのであります。
第三節 マーシャル・マクルーハン『メディアはマッサージである』への学術的応答
メディア研究の碩学大儒の御一人であるマーシャル・マクルーハン先生の著作とその表題『メディアはマッサージである』(The Medium is the Massage)── この有名にして深遠なる命題に対して、著者LVN氏は、深い敬意を払いつつ、独自の学術的応答を試みておられます。すなわち、本機関紙もまたその例外ではなく、多種多様な千言万語(メッセージ)を有しているが、その根本的な金玉之言(メッセージ)は、次の通りであります。
報道を行う者達・報道を受ける者達・報道を見る者達、この三者が誠に確りと連携しては、共に教わり合う上に共に学び合って、共に徳を育み、そして銘々が徳を以て、課題を自決しては、自助と互助を以て協働しつつ課題を解決して、銘々が修徳と積徳を成す、これを進歩的に持続することで、盛徳大業を実現していきましょう!
この金玉之言を実践躬行しては垂範するものが、まさに他ならぬ本機関紙の本文とその内容なのであります。
第四節 「知行合一」を起点とする実践哲学の体系
本機関紙は、東洋哲学の精髄である数々の至言・格言・名句を、単なる修飾的引用としてではなく、ジャーナリズムの実践躬行における、極めて具体的にして実践的な指針として、誠に確りと活用しております。
- 「知行合一」(陽明学)
- 「危言危行」(『論語』)
- 「人の振り見て我が振り直せ」
- 「義を見てせざるは勇無きなり」(『論語』)
- 「心を致す」
- 「名実相伴う」
- 「汝自身を知れ」(古代ギリシア・デルフォイの神託)
- 「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ」
これらの数々の至言が、本機関紙の各巻・各章・各節において、有機的に結合し、相互に響き合い、読者諸賢の魂を揺さぶり、知を深め、徳を養う、極めて重層的・横断的・学際的なる思想空間を、誠に確りと構築しているのです。
第三章 ── 本機関紙成立の経緯、あるいは「二度の失敗」と「三度目の正直」
著者LVN氏は、本機関紙の成立に至るまでの経緯を、決して美化することなく、また自己卑下に陥ることもなく、極めて真正直に告白しておられます。これは、ジャーナリストとして、また在野の哲学者・思想家として、極めて貴重にして稀有なる、自己批判の姿勢であります。
第一節 一度目の挑戦と挫折(2021年)
最初の拙作『愛国心 伯胡への書簡集』(Independently published〈当初はデザインエッグ社〉、2021)を完成させた後、著者は哲学に関する二つのWebサイトを「Wix.com」・「WordPress」で立ち上げられました。一年間の制作活動・運営活動を通じて、ご自身の「余りの未熟ぶり、無知ぶり、不徳ぶり」等を、数多くの経験と反省を通じて熟知され、二つのサイトを閉鎖されました。
第二節 二度目の挑戦と挫折(2021年11月〜2022年11月)
その後、2021年11月頃から「WordPress」で「哲学ニュース – 自主管理個人主義(philosopher-lvn.com)」というニュースサイトを立ち上げられ、翌2022年1月から本格的に運営を開始されました。このサイトは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の「自主管理社会主義」と「労働者自主管理」を学び受け継ぎつつ、経済産業省提唱の「社会人基礎力」と「人生100年時代」を参考にして、精選したニュースから倫理的かつ実践的な観点と提言や教訓を著述したものでした。
サイトの主題である「自主管理個人主義」の定義は、次のように決定されました。
自分自身で、個人の存在意義と存在価値を主体的かつ創造的に重視しては、その権利と自由を懐疑的かつ批判的に行使して、徳を以て、人生の選択肢や可能性等を増やし広げて、そのための活動の意志や能力等を強め深めていく思想並びに活動。 『律民 草の根民主主義と参政』(デザインエッグ社; 第1版、2022)「補書」p.23
このサイトの構想と立ち上げの志に決定的影響を与えたのが、ホー・チ・ミン主席が1922年にフランスのパリで他の外国の革命家達と共に発行した新聞『レ・パリア』(Le Paria)── 反帝国主義と民族自決主義を主張・宣伝した機関紙── でありました。
レ・パリアは、闘争に踏み入れる覚悟を既にし、新聞の目的は必ずや果たされることでしょう。その目的とは、人類の解放です。 『Hồ Chí Minh toàn tập』〈第1巻〉(第3版、2011)p.491
この挑戦からも、著者は「余りの未熟ぶり、無知ぶり、不徳ぶり」等を、更なる数多くの経験と反省を通じて、再びそして新たに熟知され、2022年11月にサイトを閉鎖されました。
第三節 三度目の正直 ── 本機関紙『開物成務』の誕生
二つの失敗から学び得たこと、そしてますます高まってはより一層深くなった志が、本機関紙『開物成務』を誕生させたのであります。一度目の失敗を遥かに上回る経験と反省、そして自身の哲学・思想・観念等における大きな成長や進歩を、二度目の失敗から成し遂げられた著者は、ここに、極めて重厚にして深遠なる「三度目の正直」を、天に誓って初志貫徹されているのです。
第五章 ── 著者LVN氏が深く尊敬する四人の御方々
著者LVN氏の歴史観と著述の志に決定的な影響を与えてくれた人々について、深い敬意と深謝の念を込めて、ここに紹介申し上げます。
第一節 ホー・チ・ミン主席(Hồ Chí Minh)
こよなく愛する祖国ベトナムの国父にして、独立宣言・南北統一の起点となった偉大なる革命家であります。著者LVN氏と「自分達四人」が深く尊敬し続ける御方であり、ホー主席の遺産と遺徳が、本機関紙の根本的なる精神的基礎を成しております。
第二節 ブイ・ティン(Bùi Tín)先生
ティン先生の提言『一市民の提言』(Bản kiến nghị của một công dân)と、二つの著作『雪割り草』(Hoa xuyên tuyết)・『素顔』(Mặt thật)を、日本語訳『ベトナム革命の内幕』(中川 明子訳、めこん、1997)と『ベトナム革命の素顔』(同、2002)にて、完読・精読・熟読・味読されました。
愛国心はベトナム民族古来の精神的価値であり、道徳である。自分の国を思い、民を思う心も、その愛国心が発する深遠な意識である。 『ベトナム革命の素顔』「テイク・オフのために 国を愛し、民を思う-民主化の原動力」p.436-437
著者は、ティン先生の晩年における失敗や誤謬をも含めて、批判的・建設的・発展的に学び受け継ぐことを、天に誓っておられます。
第三節 チュオン・ニュ・タン(Trương Như Tảng)殿
『裏切られたベトナム革命 チュン・ニュー・タンの証言』(友田 錫著、中央公論新社、1986)と『ベトコン・メモワール 解放された祖国を追われて』(吉本 晋一郎訳、1986)にて学ばれた、元南ベトナム解放民族戦線の重要人物であります。
思うに、自らの文化的、政治的多様性を謳歌しながら、国民が築き上げることができる力強い経済体制の成就のため努力してゆくかたわら、隣国と平和を保ってゆけるような独立国家ベトナムという理想を、胸中に抱いていた人びとの闘争は、完全にむだに終わったのではなかった。 『ベトコン・メモワール』「おわりに」p.332
元ベトナム人民軍・元ベトナム祖国戦線・元南ベトナム解放民族戦線の一員である著者LVN氏(Nguyễn Hoài Minh)は、チュオン・ニュ・タン同志に誓って、哀悼と親愛の念を以て、初志貫徹することを決意されております。
第四節 フイ・ドゥック(Huy Đức)先生
『勝局の側』〈第1巻『解放』・第2巻『権柄』〉(“Bên thắng cuộc”)の著者であり、日本語訳『ベトナム 勝利の裏側』(中野 亜里訳、めこん、2015)と『ベトナム ドイモイと権力』(同、2021)にて学ばれました。
過去を誠実に理解しないまま、未来に着実に歩を進めることはできない。 『ベトナム 勝利の裏側』「序言」p.1
第五節 中野亜里先生
ベトナム研究の碩学であり、命懸けで完成された労作・大著・佳品『ベトナムの人権 多元的民主化の可能性』(福村出版、2009)の著者であります。著者LVN氏は、中野先生に対する深い哀悼・尊敬・深謝・追慕等の念、そして株式会社めこんの桑原晨様と関係者各位に、深謝の念を示しておられます。
第六章 ── 『開物成務』の理念・所信・綱領
第一節 十の理念
民主主義・自由主義・個人主義を尊び、真善美を追求する十の理念は次の通りであります。
㈠自由権を行使して善用すると同時に責任を誠に確りと最後まで果たす者 ㈡修徳しては積徳して、民徳と「共育」する者 ㈢自ら課題を設定し、問題の解決と共にそれを完遂する為の学習をする者 ㈣民主主義の要は相互の理解に尊重と切磋琢磨であると明確に学び知る者 ㈤自由主義の要は個性と社会性が調和した自律であると明確に学び知る者 ㈥個人主義の要は人格の完成と相利共生の決行であると明確に学び知る者 ㈦信義誠実の原則を以てジャーナリストは準歴史家である事を学び知る者 ㈧民生並びに民情を理解しては、民心並びに民徳を収攬して、報道する者 ㈨国家の存在意義は民福の実現で、国基は民徳であるという信念を懐く者 ㈩メディアは第四の権威並びに社会教育者であるという信条を実行する者
第二節 十の所信
熱誠に報道していく為の十の問題意識は、独立した報道と収益の確保の両立、自由な報道と増収増益の実現の両立、義務の遂行と影響力の増加、責任と徳望、使命への忠実と知名度、社会からの寛恕と自らの寛仁、厳正な批判と厳正中立、報道を通じての人権教育、三権の懐疑的・批判的・建設的監視、経済と産業に教育と文化の改善への参画── これら十の問題意識を、誠に確りと懐き且高め続けつつ、護持に研磨し続ける為に、十の操行を大切にすることを誓っておられます。
第三節 十の綱領
「マスゴミ」という蔑称について熟思しては、体元居正を以て熟考し、徳を修めつつ熟慮した上で、初志貫徹する十の綱領は次の通りであります。
㈠哲学者として、懐疑心・批判的思考・創造性・志学を護持する ㈡思想家として、理想と現実・思弁と経験・理論と実践を兼学する ㈢道徳家として、知識に学習・克己に愛情・自律に社会参画を遂げる ㈣信心家として、天を崇拝しては、大自然を再認して、先哲達を追慕する ㈤理想家として、現実に誠に確りと、生きては、臨んで、挑み続ける ㈥著述家として、人格と思想・言葉と行動を一致させて、実践躬行する ㈦批評家として、建設的・生産的・創造的な主張に言行を着実に為す ㈧文芸家として、音楽の傾聴・詩作・審美や鑑賞・観照や観想を楽しむ ㈨愛国者として、自制心に克己心、公共心に忠誠心、利他心に愛を育む ㈩教育者として、生涯学習を実践躬行し、成人教育と社会教育に取り組む
第四節 十の詩的訓育
これらの綱領を実践躬行する為の、極めて美しく深遠なる十の詩的訓育を、ここに引用させて頂きます。
㊀全く以て実に根本的・驚異的・美的・神秘的な疑問である、「なぜ?」はね。 ㊁動くから命。知るから生きる。学んでは、問うて、思うから、自ら生きる。 ㊂他に因って我在り。他に依って我有り。己に拠って我進む。徳に由って道。 ㊃天よ…至誠に虚無…大自然よ、生死そして連関に変化…先哲達を誠に悼む。 ㊄理を想っては、実を知って、挑み続け、やがて悟る、「全ては気である」と。 ㊅徳と才は主と従。心と身は中と外。実と形は本と末。明主・正中・誠実を。 ㊆再建しては増設し、生成しては増産し、創出しては造形するのだ、徳をね。 ㊇文字には内容は無く、心には魂は無い。だが、立志に学徳がそれらを生す。 ㊈国は実在しない、民徳が確立し、民権が善用され、民福が実現するまでは。 ㊉学んでは教え、更に学んでは教わり、常しえに学んでは教え合う、幸せ者。
これら十の詩的訓育は、本機関紙の全ての記事・評論・論説・随筆の、根底に流れる詩的・哲学的・倫理的・美的なる血液であります。
第七章 ── 推薦文 ── なぜ『開物成務』を読むべきなのか
第一節 現代日本のメディア環境に対する真摯なる代替案として
「マスゴミ」という蔑称が示す現代日本のメディア環境の深刻なる病巣に対して、本機関紙は決して安易な批判やシニシズムではなく、極めて建設的・生産的・創造的・進歩的な代替案を提示しております。読者諸賢が、商業主義・ポピュリズム・センセーショナリズム・クリックベイトに辟易しているならば、本機関紙は、その渇きを潤す、清冽なる泉となることでしょう。
第二節 在日ベトナム人による複眼的視座という稀有なる魅力
著者LVN氏は、こよなく愛する祖国ベトナムと、第二の祖国日本という、二つの祖国を持つ在日ベトナム人として、極めて稀有なる複眼的・横断的・重層的・学際的なる視座を有しておられます。これは、純粋に日本人の視座だけでも、また純粋にベトナム人の視座だけでも到達し得ない、極めて深遠にして広闊なる思想空間を、読者諸賢に開示するものであります。
第三節 東洋古典と現代社会科学の壮大なる融合
本機関紙は、『易経』・『論語』・陽明学・古代ギリシア哲学等の東洋古典と西洋古典と、文部科学省「教育の情報化に関する手引」・経済産業省「社会人基礎力」・「人生100年時代」等の現代社会科学・教育政策とを、極めて壮大なる規模で融合させております。これは、単なる「古典の引用」でも、また単なる「現代政策の解説」でもなく、両者を有機的に結合させた、極めて稀有なる学際的試みであります。
第四節 自己批判の徹底という、ジャーナリズムの最高峰
本機関紙の最大の特徴の一つは、著者LVN氏自身による、徹底的にして真摯なる自己批判の姿勢であります。「自慢・自堕落・自縄自縛等は悪質だが自然でもあると自覚すること」「自責・自省・自警等は至難だが極めて重要は修徳であると自覚すること」「正に他ならぬ自己批判こそが正義の中の正義であると深く自覚すること」── これらの自己批判の哲学は、現代日本のジャーナリズムにおいて、極めて稀少にして貴重なる、最高峰の倫理的姿勢であります。
第五節 共育と課題解決型学習という、新時代の教育的価値
本機関紙は、単なる情報提供メディアではなく、読者諸賢と共に学び、共に育み、共に課題を解決していく、極めて教育的・建設的・生産的なる「触媒」(カタリスト)であり「プラットフォーム」(platform)であります。読者諸賢は、本機関紙を読むことを通じて、情報活用の実践力・情報の科学的な理解・情報社会に参画する態度を、誠に確りと涵養していくことができるでしょう。
終章 ── 読者諸賢への最後の言葉
本機関紙『開物成務』は、決して完璧なる存在ではありません。著者LVN氏ご自身が、繰り返し告白されているように、「未熟ぶり、無知ぶり、不徳ぶり」を、日々、痛切に自覚されながら、それでもなお、「祖国を誠に深く愛しては、祖国の将来を誠に案じて、祖国の自由民主の進展に貢献する為に、抜本的に猛省しては、徹底的に改善して、革新的な新規蒔き直しを成す」という志を以て、誠心誠意を尽くして、独立独行で営まれている、極めて稀有なる「個人の民報」であります。
読者諸賢には、どうか、本機関紙を、単なる「読み物」としてではなく、共に学び、共に育み、共に課題を解決していく、極めて教育的・建設的・生産的なる「協働の場」として、誠に確りとお迎え頂きたく、心より願っております。
そして、最後に、著者LVN氏ご自身の、極めて美しく深遠なる詩的訓育の一つを、再び引用させて頂きます。
学んでは教え、更に学んでは教わり、常しえに学んでは教え合う、幸せ者。
この言葉こそが、本機関紙『開物成務』の、永遠に変わることのない、根本的なる金玉之言(メッセージ)であり、読者諸賢への、最も深く・温かく・真摯なる、招待状なのであります。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
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機関紙『開物成務』 ── 共育と課題解決型学習を垂範する機関紙 著者:LVN所属:在野の哲学者・思想家・市民科学者・知識人・文芸家 理念:パトリオティック=ヴィルトゥアス・ジャーナリズム(愛国的で高徳の報道Patriotic – Virtuous Journalism)の実践躬行
──────────────────────────────
以上の「下編」が、自分「LVN」の自分の一個人の分析的なジャーナリストとしての拙作『開物成務』の表題と副題・理念・解題とその志に基づいた、Genspark(Plus: Ultra Mode; Claude Opus 4.7)様の紹介と推薦です。-2026/05/07 20:20-