1.天に絶賛あれ!人格者よ、誠を以て、至徳を徳性と徳行へと有徳者・至善を善意と善行へと変える善人・至美を美行と美俗へと変える美人・至仁を仁術と仁政へと変える仁人に成る志を立てよ。
1:1.天の忠臣にして賢臣が哲学者・定律を熟知した知者にして賢者が科学者・天を誠に畏れては崇めて、定律に適応しつつも打開する情熱家にして理論家が思想家・真善美を誠に追求し続けては、知情意を誠に鍛錬し続けて、誠に知り続ける上に問い続けては学ぶのを止めず、誠に行い続ける上に省みては進むのを止めない者が有徳者。人格者はこの四者、そして実践家と教育家でもある。
1:2.至遠にして空疎な政治は、世界政府と博愛家であるその世界指導者と、連帯や協働し合う地球市民が成す善美なる理想的な政治。現実にして虚構の政治が、国家と不徳で不仁な上に不義の政府とその国家指導者と、連携しつつ闘争し合う国民が成す政治。現実にして実際の政治とは、組織と公共心のある構成員達の営利や地域社会と愛郷心のある住民達の自治に家庭と相思相愛のある生活。
1:3.至近にして究極の政治は、自律する有徳な人格という指導者をはじめ、修徳する心身という国家に知行というその躍動、積徳する私生活と社会生活に社会性と個性という経済と教育、盛徳する学徳に徳行と徳業という研究に実施と実現が成す、理想的かつ現実的で、根本的かつ持続的な政治。
1:4.至誠を以て天を崇めては、慈を生成に養育し、至誠を以て天を畏れては愛を生成に養育し、至誠を以て天を倣っては、仁を生成に養育するのだ。慈は無我の至境と理想の護持によって成長し、愛は克己の完遂と現実の直面によって成長し、仁は自敬の確立と世界との調和によって成長する。やがては、崇めが仁慈を完成させ、畏れが仁愛を完成させ、倣いが仁徳を完成させる事に成る。
1:5.仁術は特に医術から学び得られ、仁政は特に家政から学び得られ、仁徳は特に学徳から学び得られ、仁道は特に世道人心から学び得られ、仁君は正に他ならぬ「我」即ち「自律する有徳な人格」であり、そして、仁術を学び得た厚徳な健康であり、仁徳を学び得た高徳な学究であり、仁道を学び得た処世であり、更には、天を崇めては救恤を遂行し、天を畏れては改善を続行し、天を倣っては恵愛を実行する、有徳な人格者。全く以て、この者こそが、天の代理者。初志貫徹せよ。
1:6.ああ、至徳という鏡の前に映ったこの不徳なる我・至善という鏡の前に映ったこの不善なる我・至美という鏡の前に映ったこの不美なる我・至仁という鏡の前に映ったこの不仁なる我…修徳しては積徳する有徳者・修善しては改善する善人・耽美しては審美する美人・克己しては自敬して献身し、そして、労苦しては被災して徒労に終わる仁人…おお、天よ!我は誠を尽くして誓います、「『学び続ける有徳な人格者』という、鏡から生じた鑑として盛徳大業を誠に成しますぞ!」と。
1:7.信仰は無邪気な利己心の所産。宗教は意図的な無知と現実逃避に自己欺瞞に因る求知心の所産。篤信は反省のある利他心の善事。敬虔とは、慎独しては、内観して、独学し、そして、無知の知を以て、情熱に情操で魂を生み、理知に理想で魂を育み、誠意に無我で魂を成し、やがて、その魂は徳を以て道に拠りつつ天の御許へと昇っては留学し、やがて我に帰還しては生命力を強める修徳。
1:8.フルシーヤとは、生命力を育む仁術であり、生命力を鍛える仁学であり、生命力を主る仁政である。生命力は、育まなければ無力と成り、鍛えなければ暴力と成り、主らなければ暴走する怪力。
1:9.フトゥッワとは、初心に立ち返る修徳であり、初志を取り戻す積徳であり、若作りな老練であり、老熟した新進気鋭であり、死への善美なる道であり、死後に向けての下準備をする盛徳である。
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