宝鑑

第Ⅰ章:体;3

3.(アッラー)の崇拝という崇高な礼、大自然との和という偉大な礼、自他の生命の尊重という最重要な礼。

3:1.強いられた礼の実行は、初歩的な礼であり、そして虚礼。定められた礼の実行は、基本的な礼であり、そして儀礼。自決した礼の決行は、本質的な礼であり、そして信実にして篤実な礼儀。

3:2.礼の正真正銘の美形は、仁の修得とそれの体現・義の理解とそれへの服務・智の蓄積とそれの現出・信の決行とその持続、この四愛で成る。形名参同・名実一体・知行合一等こそが、美化の道。

3:3.無知に無礼を、無視し続けよ、そして不問とせよ。非愛に非礼を、忌避し続けよ、だがその者達が自省と求道すれば教導せよ。虚栄と虚礼を、確りと理解せよ、その後、本当に無関係に成れ。

3:4.発心しては、熟知して、修学すれば、礼儀正しい社会人に成る。克己しては、他愛して、奉公すれば、慇懃(いんぎん)な個人に成る。慈悲忍辱しては、深謀遠慮して、博学篤志すれば、礼譲を遂行できる。

3:5.儀式の中の礼儀作法、そして儀式そのもの自体が、実際は、虚礼と虚栄、非礼と非愛、無知と無礼であるのは、世の常。孤独の中の礼儀作法と孤独そのもの自体を、有意義な自学自習にせよ。

3:6.礼義を美化と強化するのだ。数多の、重傷を負った慈・激痛を負った愛・辛苦を負った仁で成った礼は、誠に善美。長く続いた、有徳の徒労・有志の挫折・有為の孤立で成った義は、誠に強大。

3:7.仁術の礼は、己と他者との関係を強化と良化し、そして己の人格を美化と深化する。知術の礼は、己と大自然の関係を深く再認識させ、更には、永遠偉大なる(アッラー)の偉力と偉業を自覚させる。

3:8.無礼な衆愚に巻き込まれないようにし、愛の無い非礼な礼儀正しい危険人物達に洗脳されないようにし、大成功した虚栄と(まん)延した虚礼に屈従しないようにせよ。そして仁智を以て礼義を成せ。

3:9.(アッラー)の偉力は、永久機関とその動力の如くで、(アッラー)の偉業は、真円とその構造の如く。不尽の一者にして不動の動者を崇拝しては、独創的に模倣して、至誠なる意力と持続的な徳業を成すのだ。

3:10.善い上に美しい礼、それが、徳化・強化・深化された良心と、教育・洗練・自動化された良知の、静的な精神の技、そして動的な芸術である。その善を仁政で、その美を大義で、高度化せよ。

3:11.古語に「大欲を無くせば、健全なる精神が健全なる身体に宿る。」とある。そしてこれを承継する新語は、「大礼が改めれば、健全なる思考が健全なる関係を成す。」である。体を善き橋にせよ。

3:12.衣食住を充実させて、礼節を学習して確りと護持し、心技体を鍛錬して、恭敬を自修して確りと自得し、知情意を教化して、自律を確立して誠に貫徹せよ。そして、(アッラー)を誠に崇拝するのだ。

3:13.生者への礼を至誠なる徳行にするには、誠実な心・明敏な頭脳・強健な身体が重要不可欠で、死者への礼を至誠なる徳行にするには、至誠なる心魂・学識が深い脳裏・行う身体が重要不可欠。

3:14.屈従の礼は、愚人の隷属の有様・凡人の習慣の形式・賢人の処世する為の演技等で、恭順の礼は、(アッラー)の御命令を拝受する礼・定律が成した吉凶禍福を受容する礼・徳を誠に教わる礼等だ。

3:15.至誠なる礼は、激痛に万苦、重症に重病、失敗に挫折、義憤や痛(こく)等を、着実に緩和しつつ、抜本的な解決の基本を築き上げていく上に、人生の続行と学習の持続及び修徳の貫徹を成す、医道。

3:16.至誠なる礼は、休養に遊楽、安心に快楽、名利に富貴、多幸に多福等を、けじめのあるものにし、深くて善いものにし、高くて美しいものにし、断続的だが極めて有意義なものにする、仁道。

3:17.結局の所、全ては、儚く、虚しく、空しい。生命体も所詮は物体に過ぎず、生存及び遺伝も、定律の下らない所産に過ぎない。夢は叶わず、志も成らず、心は病むばかり。さればこそ礼を貫け。

3:18.続きに続く続きも、所詮は繰り返しに過ぎない。その表面は確かに新しいが、その実相は古来であり、その真相は永(ごう)回帰であるのだ。故に礼を以て絶対的な否定と絶対的な肯定を兼備せよ。

3:19.始まりの終わりを悟って勇往(まい)進し、途中の転機を悟って知勇弁力を成し、終わりの始まりを悟って勇退高踏するのだ。全ては夢そして幻に過ぎない。克己心こそが勇猛心、知勇こそが猛勇。

3:20.中庸こそが、道への道、そして徳の中の徳。至誠なる礼を以て、(アッラー)の道を悟り、定律の力を窮め、有徳な人格者と成って功業・学業・徳業等を成して、大自然の極みと融和、そして同化せよ。


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