宝鑑

第Ⅰ章:体;5

5.信は、誠心誠意から成る質実剛健の尽善尽美の所産であり、そして精確・確定・完成・持続の道。

5:1.自他の生命とその健康的な生存と主体的な人格を、良心を以て重要視しては、良知を以て尊重して、良識を以て相互安全保障する。正にこれこそが、信の原点であり、起点であり、基点である。

5:2.全く以て、不仁は致命的な欠如、不義は危機的な欠落、不知は根本的な欠乏、不信は破滅的な欠陥であり、不便や不順に不利益等は、副次的な不足に過ぎない。病弊は、本末転倒という不誠実。

5:3.信用の正体が濫用や乱用に悪用であり、信頼の正体が無関心や無責任に無計画であり、信愛の正体が偏愛や盲愛に溺愛であることが、甚だ多い。信を、自・篤・忠・誠で為して、義で成すのだ。

5:4.過信してしまわないよう、怠惰を根絶し、経験を懐疑し、感情を克服し、知識を更新するのだ。誤信は当然至極の過失と絶対不可避の失敗で、遂行すべき大事は、抜本的な内省と建設的な向学だ。

5:5.迷信は極めて自然な無知の所産、盲信は誤った教育から押し付けられた浅知の所産、妄信は意図的な無知の硬化の所産、狂信は無知な熟知した暴力の重症化の所産。確信が誤信である方が多い。

5:6.過剰な自信は、暗愚な無能者の現実逃避や自己肯定の所産であり、小難である。しかし、悪徳な有能者の求名求利や知略縦横の所産であれば、大難である。自信家は、大馬鹿か実力者かである。

5:7.自信の不足や欠乏、そして放棄や皆無は、問題外の大問題。それが、不治の病の所産であれば、そっとしておくように。それが、心身の力不足や病気であれば、治しては、鍛えて、自助を助けよ。

5:8.生の儚さ・虚しさ・空しさと死の確実性、この現実を誠に自ら学び知っては、学べる者達や学ぼうとする者達に誠に確りと教えて、生の尊さ・美しさ・素晴らしさと死の意義を自ら創るのだ。

5:9.我も怒るのは当然、だが我は怒らず、また相手を怒らせず、そして相手が怒っていることに誠に善く臨め。そうする事で、隠忍自重を学び行い、克己復礼を学び成し、寛仁大度を学び得るのだ。

5:10.我が悲しむのは当然、だが我は独りで深く悲しみ、また相手を悲しませず、そして相手が深く悲しんでいる事に誠に善く応じよ。良心を慈悲心に、共感を愛情に、理解を仁徳へと発展させよ。

5:11.ああ、一体どの喜びや楽しみが、正真正銘の本物であろうか!?現実逃避や自己否定・無関心や無責任、軽薄短小や虚実混交等…善人は疲れ、知人は痛み、賢人は苦しみ、仁人は病むばかり。

5:12.生きることに疲れ果てては、酷く(いと)って、すっかり絶望するのは、重病に知命や尽力の末路。その末路の直後が「自殺」という中途にして終焉か、それとも「自律」という続行にして確信か…。

5:13.全く以て、「信義誠実の原則」という、大原則の中の大原則を、理解するかしないか、確立するかしないか、護持するかしないかが、あらゆる歴史が決定的な分岐点で、前者は稀で後者が常。

5:14.会った事の無い死者の遺志と遺業に遺徳を知り、それを誠に承継しては、再建して、独創的に発展させる。これを「愚考と愚行に徒労」・「偉大な復習と原点と成る予習」・「温故知新」と言う。

5:15.死者は無。しかし、その遺志が道と一体化すれば、やがて啓発する影響力と生り、その遺業が道に適えば、やがて参考にされる実例と為り、その遺徳が道から降臨すれば、偉大な師範と成る。

5:16.名言など、取るに足らない記号、実績こそが取るに足りる事柄。実績など、取るに足りない一瞬、名望こそが取るに足りる評価。評価など、取るに足りない一時、徳こそが取るに足りる道。

5:17.仁智に礼義を行いつつ、自信を以て発言するのだ。善美に学徳を成しつつ、篤信を以て続行するのだ。孤独に志を保ちつつ、忠信を以て打破せよ。学に道を貫徹しつつ、誠信を以て交流せよ。

5:18.自分の至近が無人で、慎独・内観・孤高を成してから、(アッラー)に誓約せよ。深謀遠慮しては、熟慮断行して、用意周到な内実を成してから、相手・共同体・組織・公共・死者等に熱誠に誓約せよ。

5:19.成果を上げつつ技能に習熟して、相手を礼遇して信用せよ。問題や課題に直面しつつ解決に取り組んで、相手を精選して信頼せよ。名利や功徳を成しつつ謙って、相手を厳選して信愛せよ。

5:20.信任は確かに自任よりも遥かに効率的だが、自任の方が実に遥かに持続的である。学び続ける志の持ち主は極稀。だからこそ、自身がその者に成っては、自助・共助・公助・補助を自得せよ。


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