宝鑑

第Ⅲ章:物質;0

0.流れが働きに成り、働きが集まりに生り、集まりが構造に為り、構造が形に成って、動きが為る。

0:1.「中核」、これが、形の根源であり、起点であり、基点であり、そして極点ありつつも終点で、(アッラー)の御命令を宿し、定律から遠ざかり続けつつもそれに指向し続ける、という矛盾を抱え続ける。

0:2.「隙間」、これが、形の欠陥でありつつも、進展の原因である。途絶えない(つな)がり、交差する流れ、調和の基と為る通り、進みへと向かうずれ、深く伝え遺す崩れ…気の暗躍と偉力は道への道。

0:3.外から入って来、それを内へと容れ、質を生し、量を為し、形を成し、そして外へと出し、更には性を尽くし、また理に由り、やがて命に至る、それが「中」の様、そして、「核」の道である。

0:4.「現実界」が通名、「物質界」が実名、「外界」が異名、「下界」が仮名、「死後の為の試練」は偽名、「我」は虚名、「大自然」こそが真名で、最も基本的にして実際的な世界であり、道の中の道。

0:5.物自体の形も量も、動きも働きも、外界である。核こそが内界の根源にして根本、そして内界の中の内界で、性と質と保存された一定の熱が内界。気は外界・内界・異界に遍在しては往来する。

0:6.形は所詮、影の如くに過ぎず、動きもまた、所詮、陽の極一部に過ぎない。だが、光の如くである核もまた、熱運動に遮蔽されつつも活性化されるという矛盾を抱える。働きこそが陽の大部分。

0:7.核は、実は陰の極一部に過ぎず、性こそが陰の大部分。現象は確かに完成だが、末端の末端で、物体は実際にして末端であり、物量は過程にして作用点で、物性こそが力点で、物理が支点である。

0:8.無力が強力を生し、無機が有機を為し、無形が有形を成し、事象が質量を働かせ、微量が多量を回し、極小が極大を動かし、喪失が確保へと(つな)がり、偏()が調和へと変わる。この理を窮めよ。

0:9.「何が在るのか?」という自問に「物質」と自答し、「何で在り得ているのだ?」という自問に「能量(エネルギ)()」と自答し、「どう在り続けている?」という自問に「無目的(かつ)合目的に」と自答せよ。

0:10.我が、地球の一物・宇宙の一事・自然の一時であると誠に確りと自覚しては、物質を再び深く認識して、人生観に人生行路を確立し、宇宙観に宇宙論を深化させ、自然史に自然観を創造せよ。

0:11.「物心(ものごころ)」と言う俗語は、意味深長・意在言外・微言大義を体現した至言。物質の組織化された産物である身体と脳、そしてその原始的で基本的所産である心よ、物質を誠に確りと再認せよ!

0:12.「深淵に臨む」という古語と「知らぬが福」という新語。禍を迎撃し、徳を奉迎せよ。人格者は、我が物を(ただ)し、その物は(ただ)しく成り、万物の理に(いた)り、我が性を()って、自己実現する大物。

0:13.「以身役物」は、あらゆる全ての生命の宿命であり、原始であり、実態である。物を以て物に使役される物であり続けること(なか)れ。物を以て物を学習しては、所有して、使役する生物に成れ。

0:14.「応機接物」と言うが、「機」とは、第一に(アッラー)が定めた適時、第二に動き出し始めた我が心の働きと勢い、第三に善き理解者と協力者との絆。そして「物」は高い利便性と徳性を有した偉物。

0:15.我が外界である身体並びに脳の全壊と、我が内界である意識並びに熱保存の消滅が近い時に、「物我一体」という心境が完成すれば、それは正に幸甚の至り。全く以て、それは真実との一体化。

0:16.外界の熱保存は「熱の温度の高い方から低い方に流れる」、内界の熱保存は「徳は運動の強い方から弱い方に流れる」。外界の保存者は定律、内界の保存者は知。運送者は陽気、保存者は陰気。

0:17.物質の三態を窮めては、その第四態も窮めて、素粒子をも窮めれば、「確かに有るが、本当は無くて、ただ在るだけ。」、そして「全く以て無いが、それでも在る。しかしやはり無い。」と悟る。

0:18.身体という物体を健康的に護持しては、脳髄という事物を知的に活用して、意識という物質と熱運動の所産を主体的に所有し、そして、定律の熱保存を摸倣しつつ、我が熱運動を成し遂げよ。

0:19.フルシーヤ。強い運動だけでは強く成らない。弱い運動の中で静寂に独立してこそ強く成る。

0:20.フトゥッワ。全世界の万の運動を生した第一の運動に深く憧憬しては、追究して、修徳せよ。


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