1.心の奥底を深掘りすれば霊徳が生じ、心の淵源に深入りすれば神徳が生じ、至誠で魂が生じる。
1:1.正真正銘の成功談は、膨大な失敗談の蓄積と凝縮、そしてその総括と昇華の完遂に由る美談であり、真実無妄の偉人伝は正に立志伝、そして本物の善美と功徳に満ち溢れた罪深き聖哲の史伝だ。
1:2.事実そして真実は唯一無二、そして直ぐ様永遠不変に成る。これが「過去」。一道に因る円い一筋が、万物を過ぎては、万事を去って、万物を補完しつつ万事を完成しながらアッラーへと還る。
1:3.霊は幻想にして空想。だが、想いは動く物が、そして幻もまた生きる物が、創出した存在。虚と空に無は、皆無に酷似しているが、全く以てそうではなく、存在自体の実態と実体に本源である。
1:4.アッラーを畏れしては崇拝し、定律を認識しては解明し、大自然を研究しては超克し、生命を畏敬しては尊重し、英雄達と先哲達を尊尚親愛し、温慈恵和を以て子孫達と青少年達を教導せよ。
1:5.祖先達や先人達、そして、英雄達や先哲達の、苦楽、善悪に正邪と是非に曲直、強弱に貧富と賢愚に優劣、成敗に得失と功罪に禍福、そして無知と有徳を誠に追究して、反面教師と教範を創れ。
1:6.時を得るのは、確かに遂行しなければならない極めて重要な大事である。しかし、確かに小事ではあるが、そんな大事よりも大事な重要な大事がある。それは正に他ならぬ栄光ある孤高な修徳。
1:7.「愛してくれるかな?」等と問うのは至極当然な希求で、そして重要不可欠な疑問。だが至誠なる愛が内界に満ち溢れたらそれは欠ける。大慈は無慈悲を、粋な愛は野暮を、仁徳は不仁を悟る。
1:8.好むのは、本能の故であり、好きに生ったのは、自然法則の所産であり、大好きに為ったのは、定律に因る盛んな強き勢いであり、好きではなくなったのは、他律の末路か、開悟と達観の成果か。
1:9.儚さは、合理的に行い、論理的に学び、理知的に問うて、根本的に知り尽くした末の直感的な理解とその感性で、虚しさは心界と可想界を、空しさは物界と可想界を、往来する道とその感性。
1:10.一体、心とは何であり、そして誰が私なのだ?一体、時とは何であり、そして虚が実で、空が道であるのは、どうだったのであり、どうなっており、どうなっていくのだ?一筋は時無き時だ。
1:11.因果は絶対に在る。これは至理…あらゆる全ての破壊を創造したあの太初の創造力と、その終わり無き始まり、そしてこの哲学的で神秘的な直感力は何だ!?…ああ、天はより偉大なり…。
1:12.至誠なる天への崇拝は、克己心の完成と健全化された利己心、そして主体的な自律と利他的な自決に虚無的な自覚とその崇高な精神と行為。無神論的な信心家、そして無宗教の宗教家に成れ。
1:13.至誠なる天への畏れは、生存本能の知的な洗練と知的本能の学究的な研磨に存在自体の純粋で高くて深い再認識とその大いなる驚喜から成される、高貴な情操。畏まり、謹み、慎み、謙れ。
1:14.美辞麗句を美辞麗句たらしめるのは、誠心誠意から成る有言実行であり、その師は不言実行。神託は即ち定律が成す適時、託宣は即ち有徳な人格が成す窮理、信託は即ち民徳が成す君徳と徳政。
1:15.修辞学と話術に礼儀作法を修得し、そして仁を習得すれば、瞳と態度は地味を為し、舌と口は訥弁を為し、手と字は拙作を成しつつも、誠に明弁できる。記号と情報ではなく諸徳に感応せよ。
1:16.悪徳は、必然的で絶対に必要不可欠な依存関係から、不必要な依存関係を巧妙に構築していき、悪知恵は極めて強力であくどい依存効果を生み出し、悪意に悪行は依存症を強化し不治にする。
1:17.「この世界が消えて無くなる」とは即ち「その世界へと続いてはその続きと成る」。「その世界は続くも、そのあらゆる全ては還元する。」とは即ち「あの世界への道」。あの世界は世界で非ず。
1:18.「本当は何?そして、本当に何だ?」と自問しては自答せよ。その自問が懐疑的・理知的・科学的な思考力や決断力を、そして、その自答が創造的で実践的そして現実的な実行力を、鍛える。
1:19.「好き」そして「大好き」すらも包括的に超越して深く恋慕が生じると、芸術を為し始める。深き恋慕が決定的に成就しようが失敗しようが、己が為し続けた芸術は自ずと成って、情操も成る。
1:20.良心に共感、親切気に慈悲心、責任感に義務感、忠誠心や名誉心、恥に罪悪感、正義感に使命感、これらが、害毒に操作される浅知浅学や、自縄自縛を成す金科玉条に成らないように検めよ。
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