徳九倍層

『徳九層倍』:上篇「実事求是」;上章「政治」(⒕-⒛)

⒕毎日自ら楽しく身を確りと洗って、清清しい姿勢を成すように、毎日自ら深く心を確りと洗って、神神しい志向を成すのだ。頭脳明晰で精励(かっ)勤、そして精明強幹で奉公守法、清清しい姿勢を以てこれらを決行しては続行して、神神しい志向を以て遂行し、そして有徳な人格を以て心を道に致し、厚徳な適格を以て情を公に立て、高徳な合格を以て理()めて功を奏する、これが、選良(エリート)主義に人格主義と徳治主義、そして利他主義、更には幸福主義の道である。修徳して、無知を知っては、充足を知って、不要を知り、積徳して、関係を確立しては、絆を護持し、自己を実現していくように。

⒖本物である上に正真正銘の幸福は、生命同士の純粋な相互扶助に至誠なる相思相愛、そして生涯に亘る共学に協働や切()(たく)磨等に拠って一瞬だけ実在する。本物の幸福は、前述した諸々が、生命同士ではなく、健常者の純粋な慈愛と無垢な障(がい)者や無害な障害者の関係、そして生者の追慕と死者の遺徳の繋がりに依って一瞬だけ実在する。正真正銘の幸福は、無位に無名、無私に無我、無意に無心である、合目的かつ無目的な志向性、無為自然なる有徳、無為超自然なる人格と、それらの現実での利他的な具現・主体的な遂行・芸術的な深化・哲学的な高度化に由って一瞬だけ実在する。

⒗人権屋や政治屋と成ること(なか)れ、道徳家や政治家に成れ、その為に、誠心誠意を自律の道標の一つとして確立せよ。財界や政界に深入りして(こん)迷に陥ること勿れ、物界や心界を厳戒せよ、その為に、鑿窓啓牖(さくそうけいゆう)を自立の道標の一つとして確立せよ。入党や立党しては、自滅して隷従すること勿れ、入神や立志しては、自敬して痛心することだ、その為に、自業自得を自負の道標の一つとして確立せよ。権力者や金満家とその絶大な影響力に慣れ親しむことが極力無いようにし、愛国者や教育家とその高(まい)な遺志に深く感激しては、確りと承継して、鋭意済美に奮励努力し続けるようにせよ。

⒘正真正銘の強国を完成して護持する民力の領導者は、本物の愛国者である厳明で尽忠する権力者であり、正真正銘の大国を完成して護持する民生の領導者は、本物の実力者である公正で克己する経営者であり、正真正銘の富国を完成して護持する民意の領導者は、本物の人格者である、博学審問しては、尽善尽美して、質疑応答する、名実相伴う教育者である。富を生み出す富は、確かに利己心そして()意ではあるが、富を完成する富は求知心そして学習意欲であり、本当の大成は、社会生活そして外界ではなく、私生活そして内界に実在するものであり、強さは威力を善用する意力だ。

⒙家事・仕事・学事・政事、この四事を誠に確りと正しく再認識しては、善く抜本的に自問自答して、心機一転を以て拳拳服するのだ。「拳拳服」とは何か?天命を誠に確りと深く自覚しては、「敬虔」という宗教的な情操を以て、「志操堅固」という哲学的で利他的な自決を成して、篤志を天に貢ぎつつ徳業を天に献ずる、これが「拳拳」であり、「死」という絶対不可避の確実な終点が既に(か)つ常に潜在し続けており、「死」に因って自分自身が「生」を維持し続けているという真実を誠に確りと深く認識する、これが「服膺」であり、「拳拳服膺」とは「生涯学習の立志」である。

⒚完璧主義者が、危険人物と成るか、それとも、大人物と成るかは、その本末転倒を是正をするかしないかで決定される。誠に自問しては、窮理して、悟得し、そして誠にこう自答せよ「ああ、天よ!やはり全ては完璧です!この『完璧じゃない!』というこの観念もまた、完璧の所産である上に、完璧から完璧へと続く過程の極一部でございますね!」と。さあ、病的な絶対主義者から知的な絶対主義者に成り、そして、絶対的で病的な完璧主義者から相対的で審美的な完璧主義者に成れ。

⒛いわゆる「全知全能」という()弁とその至愚から学び知らなければならないことは、他律であり続けることが甚だ劣弱である上に愚劣であるということであり、そして学び得られることは、力への意志は、頭に心そして我が有り、これらが理に気そして性に由るだけではなく、これらがそれらを感じ取る生命力の所産であるということである。この所産を恒産に変える一者は、これらを統治・支配・指導そして領導する「主体」即ち「有徳な生涯学習を初志貫徹する有徳な人格」である。


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