⒈寛ぎがあり、それでいて、栗しさもある、これが政治の要諦の一つである。優しさに恵み、広さに許し、落ち着きに安らぎ、ゆっくりと考えては静かに行い、伸び伸びと仕事をしてはすくすくと成果を上げる、これらがあってこそ、本当の寛ぎが本当に成り、そして本当に寛いだ治政が本当に成る。厳しさに正しさ、真面目にけじめ、区別に差別、速やかに考えては力強く行い、きっちりと仕事をしてはきびきびと是正を遂げる、これらがあってこそ、本当の栗しさが本当に成り、そして栗しい政治が本当に成る。苦しみの無い寛ぎは本当の寛ぎで非ず、苦しみが幸せと成るのが寛ぎの結実であり、愛の無い栗しさは栗しさで非ず、懲らしめが学びと成るのが栗しさの結実である。
⒉集合的無意識とその歴史的に形成された通念、そして個人的無意識とその文化的に健全化された観念、この二つが世道人心を強く正しく、そして善く美しく成すのである。総じて、世道は不道徳であり、人心は無心である。それもそのはず、天道は非道であり、核心は虚無であるのだ。だからこそ、歴史を熱誠に学び直しては、真摯に猛省して、確りと刷新し、そして栗しさを確立してこそ、世道を強く正しく成し、文化を科学的に多く学んでは、懐疑的に深く研究して、抜本的に再評価し、そして寛ぎを確立してこそ、人心を善く美しく成すのだ。これこそが、政治の要務の一つである。
⒊真実を追究しては認知し、事実を認識しては解釈し、現実を解明しては把握し、そして開明を成しては啓蒙を遂げる、これもまた、本物の高邁な政治の正真正銘の崇高な特務の一つである。故に、極めて殺伐として苛々が募り続ける、多事多端に御用繁多、汲汲忙忙に営営奔走である政経こそに、寛ぎがより一層必要不可欠にして重要不可欠であり、また、極めて数多くの錯誤が増え続ける複雑多岐に複雑怪奇、百人百様に千差万別である政教こそに、栗しさがより一層必要不可欠にして重要不可欠である。そして取り分け、経済観念に「足るを知る」あれ、教育改革に「自身を知る」あれ。
⒋癒しを成し、そして治りを遂げる、これが寛仁の偉業である。猛省を成し、治まりを遂げる、これが厳栗の偉業である。天下の数多の欲に力、そして病に禍が最も集合しては、膨張して、激増し、更には、悪化しては、強大化して、蔓延する世界の一つは政界であり、それを敷衍するのが官界であり、それを助長するのが財界であり、それを補強するのが法曹界であり、それを完遂するのが隷従する警察と軍事である。だからこそ、医学的で抜本的な治政を以て病弊を徹底的に根治あるいは根絶しつつ、工学的で建設的な執政を以て弊害を徹底的に是正あるいは殲滅していくことである。
⒌いわゆる、「報国」に「愛国」そして「親民」に「愛民」等の簡潔で崇高な言葉を、正心を以て正しく理解しては、善意を以て善く解釈して、篤行を以て篤く実践してこそ、政治家から政治屋へと堕落すること無く、政治家から本物の政治家へと成長して、正真正銘の参政を実行する愛国者・人格者・有徳者に成るのである。先哲達の遺徳に故愛国者達が成した国恩を自覚しては享受して、熱烈かつ冷徹な愛国心を自ら自然と養い育み、その愛国心を以て人格を形成しては陶冶して完成し、その人格を以て有徳を成しては、有徳な人格を以て民徳を親愛して、済美と報徳に民福を遂げよ。
⒍赦しこそが、寛ぎを寛ぎたらしめる。厳正な咎めや懲らしめに厳罰や重罰、そして死刑あるいは終身刑でさえも、確かに必要不可欠である上に重要不可欠である、が実際には無意味な上に無価値である。ただ心有る者だけが、意味付けを成して、価値判断を遂げることが出来るのである。天に深謝あるいは深謝したり、天を怨むあるいは呪うのもまた、人情の自然な流れであり、己自身を激しく責め立てては、深く嫌悪と憎悪して、大いに呪うのもまた、激情の自然な流れである上に、実は栗しさの発芽である。さあ、赦しを以て寛ぎを成しては、熱誠に自己を解放しつつ再起を遂げて、天を誠に崇拝し、人を誠に理解し、己を誠に深愛し、そして栗しさを以て、知命・立命・致命せよ。
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