徳九倍層

『徳九層倍』:上篇「実事求是」;上章「政治」〔寛而栗〕(⒎-⒔)

⒎修道すれば、全ては無価値・無意味・無駄であることを学び知る。実はこの学びがむしろ寛ぎを成し、そして正にこの上知こそが慈善・博愛・仁徳を完成するのである。政道は、不道である天道を仰ぎつつ道を創造する仁道であり、無道である世道を知りつつ道を体現する医道であり、人道である学道を完成する神道である。修理すれば、価値観・意味付け・動機付けを改めて為し始める事が出来る。克己復礼して格物致知すれば「窮理」が始まり、有為自我が無為自然と成るのが「入神」であり、理を窮めて神へと入れば、「道理」を認識しては理解して熟知する。政理もここから成る。

⒏政事は人事である。では「人」とは何であろうか?それは、まず物体であり、そして有機体であり、生命体であり、また動物である。この自明の理を誠に再認識しては、自然法則を改めて確りとかつ新たに深く学び直して、生命現象を、無評価と判断中止を以て科学的で客観的に精確に理解し、そして己自身を把握することを以て現実を把握して、現実に確りと適応しつつも掌握していき、そして主体的に改善していくことである。さあ、「人事」つまり「人力」が、即ち「人欲」であるという現実に屈従せず、「人欲」を「人徳」へと改変していくという改善に、誠に奮励努力し続けよ。

⒐治世は極めて短く、それは歴史の一瞬と言っても、決して過言ではない、むしろ正に適言である。乱世は極めて長く、それは歴史の大部分だと言っても、言い過ぎではない、問題意識を以て観れば。末世は極めて惨く、それは歴史の集大成と考えても、差し支えない、むしろ真実味がある方なのだ。盛世は結局の所幻、それは歴史の転換期の手前と理解して幻滅し、そして懐かしさは虚しさと成る。出世は死の始まり、処世は死への過程、(えん)世は発病或いは発覚の始まり、警世は徳行であるが徒労、経世は崇高で無駄、(とん)世は証悟と明哲、辞世は死に因る大自然との完全な一体化…在世に寛ぎあれ。

⒑政道を修学しては、政理を確立して、政徳を体現し、そして政治を実行する、これこそが政治である。「為政」と言うが、何に為って何の為に何を為すのか?有徳な人格を持った愛国者に為って民福の為に民徳を為し、有能な謙虚さを持った実力者に為って知識の為に実行を為し、有望な富裕を持った影響者に為って自由の為に課役を為す、有意義な理念を持った領導者に為って徳の相承の為に学の進展を為すことである。(きび)しさを以て、政権を粛正し、政府を是正し、政令を補正し、政務を簡素化し、政界を浄化し、政綱を明示し、政論を選抜し、政策を完遂して、政績を徳化せよ。

⒒最も重要な世論の一つが政論であり、最も重要な私見の一つが政見であり、そして最も合法的な犯罪組織の一つが政治組織であり、最も欺(まん)的な名士の一つが政治家である。これ故に、賢良方正で寛仁な政治家は、人民を慈愛しては、民福の実現を志して、民徳に師事し、そして、自由民主と同時に敬教勧学に取り組み、質実剛健で厳正な政治家は、人民を厳戒しては、民声に屈従せずに確りと厳選と精選して、民意ではなく道義を追求し、そして、秩序の安定と責任の完遂と同時に理路整然の実現に取り組むのである。「寛厳宜しきを得る」と「寛而栗」を以て善美と正実な政を為せ。

⒓拝金主義に金権政治、これが財界と政界の実態であり、精神疾患に人格障害、これが政権と政治家の実情であり、強制力に暴力、これが政経と権力の実力である。誠に再考しては再思して、確りと再生しなければならない、「法治主義」や「人権」等と言う言葉と概念とその空虚ぶりを。学で法を措定してこそ、法治が有効に成る上に後に有功に成り、徳で人間関係を措定してこそ、人権が有力になる上に有力に成るのである。学を仮定するのは知能であり、徳を仮定するのは良心である。

⒔国民だけではなく人類も、そして人類だけではなく動植物をも誠に愛し、そして何よりも真っ先に己自身を愛し、また最終的には同様に己自身を愛する、これらが政治の極意・奥義・神髄である。天は万の世界を真に造化しては化育して連関させる至仁にして不仁。天を代理する大自然の摂理は万の事物を実に創造しては破壊して連系させる合理的ながらも無目的な不義。誠に、天を崇拝しては、大自然の摂理を窮めて、諸々の人民と生命達を愛し、そして人格と目的に仁義を以て治国せよ。


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