⒎喜怒哀楽が未発の状態、そして、知解認容が未明の状態、これらを「中」と言い、喜怒哀楽が適度な状態を「和」と言い、そして、知解認容が適確の状態を「均」と言い、事前である「中」を「真実味」と言い、事後の「和」と「均」を「現実味」と言い、「中和」を「人情味」と言い、「中均」を「真剣味」と言い、「中和」と「中均」を兼備するのを「円熟味」と言う。「和」が成るのは「中を用いる」からであり、「均」が成るのは「中を執る」からである。至徳即ち中庸への道が達道であり、達道を創造する徳が達徳であり、達道を体験しては体得して体現する人が達人である。
⒏聖徳は、自身は無効であり、それでいて諸物を有効にする。霊徳は、自身は無力であり、それでいて諸人を有力にする。神徳は、自身は無功であり、それでいて諸君を有功にする。中庸即ち至徳を学び知って行う人が達人である、それを学び続けては、護持し続けて、それが消失するのは絶対的に不可避であり、それを喪失してしまうのも至極当然であるが、その度に再起して再生しつつそれを再現する人が、至人である。さあ、温和を以て神聖を探求してはそれを神聖視して探究し、柔和を以て霊感を創造しては交霊しては叡智を成し、調和を以て、超俗と出我して入神と留学しては、神降ろしを行いつつ神性を帯びる徳性を滋養し、神上げを行いつつ神格化した人格を陶冶するのだ。
⒐誠に敬虔に成って、啓示宗教を知り尽くして斥け、そして誠に天命を知っては天啓を創り出して、道徳心を涵養しつつ、政教分離と真実一路を死守せよ。誠に天を崇拝して、倫理的宗教を敬仰しつつも正しく疎んじては確りと遠ざけて、祭政一致を極秘に善く美しく実現せよ。至誠を以て天に善く誓っては、自然宗教の理非曲直を頂戴と摘出して、自然法則を再認識し、自然科学を学習し、自然哲学を独創して、神政と徳政を完遂せよ。信仰心を懐く遠神論者、宗教心を懐く無宗教の礼拝者、無神論的な実践神学を有した哲学的な有神論者、可謬主義・懐疑主義・不可知論の信奉者に成れ。
⒑本能に隷従しては快楽に盲従し、そしてしばしば感情に、時には激情に駆り立てられる、これを「原始的」や「本能的」そして「動物的」更には「未開」と言う。本能を統制しては快楽を抑制し、そしてしばしば感情を、時には激情を抑圧しつつ洗練する、これを「社会的」や「理性的」そして「人間的」更には「開発」と言う。本能が進化しては快楽が転化し、そしてしばしば情操が、時には情操が溌剌と突発しては飛躍して理念が確立する、これを「理知的」や「進歩的」そして「哲学的」更には「神秘的」そして「開明」また「入神」と言う。確乎不動・温柔敦厚・神妙入微に成れ。
⒒時論・世論・政論を遊説するよりも、まずは正論・名論・持論を躬行すること、これこそが政客を政客たらしめる道であり、政客たるもの、この道を誠に遂行し続けなければならない。政治組織や産業組織の自浄作用を補助するよりも、まずは社会生活や職業生活そして私生活の自力更生を促進すること、これこそが護民士を護民士たらしめる道であり、護民士たるもの、この道を誠に遂行し続けなければならない。政治機構・政治制度・政治体制ではなく政治意識と政治運動に参画せよ。
⒓時局の中も最も重視しては注視して危険視しなければならないものの一つが、正に他ならぬ政局であり、政治不信は最も危険な人間不信の一つであり、長期的に続いている政情不安に政治腐敗と、それに対する根本的に解決策も倫理観も警戒心も問題意識も危機感も無い、政治的無関心に満ち溢れた民情は、戦争に次ぐと同時に戦争を意図せずに誘う危険な国難である。確かに治乱興廃は大自然の定めであるが、政経教娯は大衆の生活様式とその性向に左右される。自救こそが救国である。
⒔政治活動よりも経済活動の方が、遥かに有効である上に極めて現実的であり、そしてほぼ常に生活に直結する。経済に産業は実業であり、政治に投資は虚業であり、そして、農業こそが実業の中の実業であり、哲学という学業こそが虚業の中の虚業である。故に、勧農そして衣食住の正しい確保と善き護持こそが、最も重視されては注力されるべき経済活動であり、勧学そして真善美の不断の追求と不尽の研究こそを、政治活動の根本義とその神的な動機付けと意味付けにするべきである。
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