徳九倍層

『徳九層倍』:上篇「実事求是」;上章「政治」〔愿而恭〕(⒎-⒔)

⒎受教・労働・納税、この三つの通念が、社会人達の通有な課役である。教育者達足る者、純粋に真理を追究し続けながら、直向きに知識を追求しつつも熱誠に自ら自力で己自身の人格を陶冶して、大自然と生命力を実践的に再認識し続けつつも、実社会取り分け経済活動及び景気変動並びに民生、そして政情及び国情並びに民情を把握し続けなければならない。全く以て、正に他ならぬ教育こそが、経営を経営たらしめ、政治を政治たらしめ、そして有徳な人格こそが、教育を教育たらしめる。自己教育・労働運動・行政監査、この三つの要務が、自由民主を善く・正しく・確りと持続させる。

⒏企業内教育・真正実力主義(プロフェショナリズム)・参政、この三事を疎かにすること(なか)れ。この三事を疎かにする経営者・監督者・担当者は、以ての外。この三事を軽視・蔑視・無視しては、嘲笑(ちょう)・全否定・排撃する者達は、もはや人にして人で非ず、論外であり、不問にして決別しなければならない連中であるが、実はこういう「連中」というのは、経営陣・上層部・管理職等だけではなく、圧倒的大多数の民衆、取り分け、浅学非才の新卒社会人達・学習性無力感に満ち溢れた自暴自棄の組織人・辛勤し続けては徒労と浪費を続ける労働者達でもある。逸民が実は良民であり、隠者が実は賢者であり、(えん)世家が実は道徳家であることが決して少なくないのはこういう訳である。情理を尽くして三事を促がせ。

⒐生存・自由・利益・学問等の追求は、実社会の成立及び実生活の維持並びに実力の確保を遂げる為の、必要不可欠にして重要不可欠な活動である。この活動を従事しては推奨して補完する活動家は、道徳家・教育家・篤志家・思想家である。道徳心そして倫理観こそが生命力を抜本的に強化し、徳教そして実践倫理こそが自由を自由たらしめ、徳倫理を目的とし、功名を目標とし、良好な人間関係の構築とその護持を目途とする営利こそが、本物の利益とその正真正銘の持続可能性を確保し、病を克服しつつ才を徳化し続けながら完成していく思想こそが、権利・責任・秩序を真正にする。

⒑実に残念ながら、国家権力は暴君暴吏に用いられる上に占められ続け、そして、人権を曲解したり、人権を無視したり、人権を消失させたり、人権を剥奪したりする連中の人権は、意外にも手厚く守られ、挙句の果てには、人命そのものを殺傷する連中の人権が、必要以上に守られ続け、時には、新たな害悪と惨劇を引き起こす程までにその人権が増加や拡大に堅守される。不自由に更なる不自由を加える事勿れ、いきなり不利を有利に変える事勿れ、不寛容に対して寛容である事勿れ。

⒒いわゆる「公共の福祉」が、果たして本当は何であり、そしてどうやって本当に実現しては護持していくのか?という重要で気高い疑問を誠に懐いては、その立派な模範解答を創り出すのが学者達の学業であり、その模範解答を善く詳解した上で正しく遵守するのが経営者達の兼業であり、その兼業を学び知って各自で各々の正解を創り出すのが労働者達の副業であり、その副業を以て家業を成しては、率先垂範を以て青少年達を教育するのが、親達・教師達・地域社会の協業にして偉業である。共通善は「自存」、公共の利益は「自存の補完」、思い遣りと譲り合いは善美なる文化の道。

⒓いわゆる「環境の所為にするな!」や「自己責任だろうが!」等という言葉は、本当に慎まなければならないものであり、それは総じて()弁であり、至誠なる教育愛を有した熱烈峻厳(しゅん)な教育者が、至誠なる大志を有する強理(けい)直な学習者に叱咤激励する際の言葉である場合は、それは極言にして至言である。故に志が有って修徳する国君は、愛が有って修道する国師を必死に探求しては、熱誠に師事して、実際に学績を政治に反映させ、そして「国家」という環境を改善する責任を遂行する。

⒔民情の()声は悪神の強勢であり、民心の(かん)声は疫病神の成功であり、民意の怒声は武神の号令であり、民生の嘆声は貧乏神の来訪であり、民力の奇声は魔神の発狂であり、民活の(ぎん)声は福神の呼び掛けであり、民徳の美声は人格神の啓示である。至誠を以て天を崇拝しては、畏怖して、敬(けん)な託宣者に成るのだ。強勢に対して不(とう)不屈であれ、成功を打破して完治を成せ、号令を受命しつつもその正しき廃止を遂げよ、呼び掛けに自助してから応じよ、啓示()恭し(やうや)く拝受して実践躬行(きゅう)せよ。


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