Ⅰ:Ⅰ;愛人)家庭教育に家族主義、学校教育に民主主義、自己教育に個人主義、産業自由民主主義。
人材の確保と管理に育成と開発、企業の説明責任と社会的責任及び自己統治と共有価値の創造並びに持続可能性、マネジメントにマーケティングやエンパワーメント、そして企業の実在理由等は、誠に確りと打ち立てては、護持して、進展させなければならない。しかしこれら「本番」が最終的に大成功に終わるには、当然ながら「練習」が必要不可欠であり、その「練習」も「準備」とそのための「下準備」が重要不可欠である。「練習」とは、主体的な社会技能とそれに基づく持続的な経済力、そして責任を果たせる自由と秩序を正す民主の実現であり、「準備」とは、徳性と主体性に知性・理性・感性・悟性・耐性の修養とその実行であり、「下準備」とは、家庭と学校での教学を参考にした自律の有る自己教育と自敬の有る個人主義の確立である。この諸事とその道筋を慮る経営者が、志を立てては、道が行って、筋を通し、そして、自社の実在理由を確立して志を遂げる。
有徳者は稀有な存在であり、有害者は数多の存在であり、人格者は本当に甚だ少なく、人格障害者は本当に甚だ多く、本当に熱誠で勤勉である実力者が冷遇や排撃等を被ることは世の常、実際は無能で愚劣である人気者が優遇や擁護等を受け続ける盗人は時代の寵児。それでも屈従する事勿れ。
他人に誠に愛され続け、やがてようやく自ら自力で己自身を愛し始め、そして誠に自ら自ら自力で己自身を愛し続けるように成り、それから遂に他人を誠に愛し始め、やがて他人を誠に愛し続け、後に自他は相思し、後々に相愛し、更には絆が完成し、自己実現も完遂する。これが、人道の一つである。「『誠』は天の道なり、之を“誠”にするは人の道なり。」という格言は、実に奥深い創造。
社会階級は確かに根絶するべきだが、社会階層は当然、実在し存続する。多様性に多層性、不平等に格差、貧富に強弱、可否に賢愚、成敗に活殺が常にある上に周期的に続くのは、天の道に因る現象。大切な事は、天の道『誠』つまり「最適化」を“誠”つまり「調和」にする人の道を行う事。
Ⅰ:Ⅱ;用物)天物・事物・財物は勿論の事、偉物・人物・大人物をも用いて、開物成務を完遂せよ。
いつまで経っても財物のことばかりしか頭にない人間と組織を「知識と学習の無い貪欲な原始人」と「脳無しの銭ゲバである必要悪」と言える。物質の発展的な表出が「事象」であり、事象は「変化」の断片に過ぎず、物質もまたその欠片に過ぎない。故に「事物」と言う言葉を、改めて深く学び知らなければならない。生命力に重力と万有引力等、これらのような「原動力」と直接的に連係している事物を「天物」と言い、天物を誠に、探求に追求、探究と追究、そして理解と応用すれば、生物は偉物にし、動物は人物にし、有機物は大人物に成るのである。哲理・情操・中庸を成すのだ。
善人を歓迎しては、知者を招致して、義理人情を分厚くし、賢人と熟議しては、学者と談議して、博学篤志を成し、哲人に教わっては、聖人に学んで、才徳兼備を保ち、悼みを以て交霊しては、虚しさを以て神降ろしを、空しさを以て神上げを行い、敦篤虚静を成し、虚往実帰を遂げ、虚気平心を育む、これが士人・士君子・聖人君子・妙仙聖哲の道である。文明と自然・文化と大自然・文徳と摂理・此岸と彼岸を確りと往来しては、誠に学習して、善く美しく行い続ければ、学徳が実存しては、頭脳・人格・哲理・其岸が完成して、自我が実在するように成る。そしてこれこそが、最初にして最重要の内なる「御持て成し」と「ホスピタリティ」である。経営者がこれを実践躬行してこそ、本当に諸物が開拓され、やがて諸事が開明に成り、そして責務が大成功を収めることに成る。
本当に技術革新の実現を志すのであれば、先ずは、本当に人心一新の実現を志して誠に取り組むこと。物界から誕生しては、物界に依存して、物界に従属している心界を再認識し、そして心界の方から物界に働き掛けては、物界を改善して、物界とは部分的にその主従関係を逆転させつつ、善く調和の在る相関関係を完成せよ。「心有る」とは「哲学的・科学的・道徳的・主体的である」だ。
自己投資と自己啓発は極めて重要で、それをしようとしないのは自棄だが、したくても・しても実際には出来ないのは、衆愚や失政に自信の薄志弱行に依る禍である。自力更生と自助努力が道だ。
Ⅰ:Ⅲ;理財)材は必要性に、財は価値観に、罪は道徳観に、功は倫理観に、我は人生観に基づく。
「必要は発明の母」と言うが、それは「母」があくまでも必要としているのが好奇心・求知心・探究心・向学心等である場合に限る。文明が機械化・利便化・複雑化・多様化・高度化すればする程、「必要は不要の厚化粧」というようになってしまい、その一方で、文化は弱化・形骸化・単純化・画一化・退化・悪化の一途を辿ってしまうものである。だからこそ、古来の格言にこうあるではないか、「人々を知る者は『智』、自身を知る者は『明』、人に勝つ者は『有力』、自身に勝つ者は『強』、足るを知る者は『富』、強を行う者は『有志』。」と。『明智』を以て必要性を理解しながらその増減と高低に改廃を自決し、『強き有力』を以て諸々の材を取捨選択しては切磋琢磨して材を財へと進化させ、『富』を以て、利害損得と是非曲直を峻別しつつ均衡と最適を目指し、また功罪を兼学しながら、罪を知って「猛省と改善」を遂行し、功を知って「謙虚と進歩」を継続し、『有志』を以て、実生活を充実させては、実社会に貢献して、実人生を創造し、そして、自己実現せよ。
材の中の材であり、また諸々の材を掌る材は、正に他ならぬ「人材」である。財の中の財であり、また諸々の財を財たらしめる財は、正に他ならぬ「人財」である。世論に民俗は、真っ先に成功に名利や富貴等について語っては求めるが、志士仁人に聖人君子は、真っ先に失敗に誤謬や罪過等について語っては省みる。「始めが大事」と言うように、心配事が大事で、冗談事は惨事の始まりだ。
たとえ一生功が一切無くても、徳を修め続けては積み重ね続けて盛んにする者が「有徳者」であり、多忙や不遇に病気や障碍等に由って寡徳だが、実生活と実社会に実人生にて、実力を発揮しては、実績を上げて、実利を齎し、幸運と善き環境に恵まれて人格が陶冶された者が「人格者」である。さあ、有徳な人格者に成って、有徳者だが人格者ではない「惜しい善美」を挙用しては成長させて活躍させ、人格者だが有徳者ではない「及ばない実正」を教導しては修身させて修徳させよ。
Ⅰ:Ⅳ;自知)「人間関係の調整」という外界の要務と「精神修養」という内界の要点を兼備せよ。
企業内教育・技術教育・職業教育・産業教育・生産教育等、これらは極めて重要な実学であるが、これらには致命的な欠点と弱点に病弊がどうしても潜在する。その欠点とは、「情理を尽くすことがなかなか出来ない」であり、その弱点とは「多かれ少なかれ、どうしても『人的資源』という解釈や観点に偏向してしまう。」であり、その病弊とは「その教学のほとんどは疎外の始まりである」である。だからこそ、政治教育・情操教育・道徳教育・科学教育・哲学教育を以て、これらの教育を補充・補強・補完し、更には、社会教育・成人教育・人格教育を以て、これらの教育を多様化・高度化・深化させ、そして、生涯学習を以て、「人的資源」から「主体的個人」へと誠に進歩せよ。
いわゆる「問題」のほとんどは、「人間関係」であり、またそうでない「問題」も、最終的にはほぼ全ては「人間関係」という問題に転化したり、帰着したりするものである。故に、体育や知育に偏向し続ける上に、食育や訓育を疎かにしたり、情育や徳育をしなかったりすれば、家庭教育並びに学校教育及び青少年教育は、いかに数多くの素晴らしい業績をあげようとも、実際は致命的な大失敗と不治の病弊を青少年達に宿し、その後、彼等彼女等が、大人として実生活を築き始め、社会人として実社会に出始め、個人として実人生を過ごし始めると、早かれ遅かれ、多かれ少なかれ、やがて悩んだり、苦しんだり、敗れたり、失ったり、挫いたり、乱れたり、狂ったり、病んだり等してしまう上に、途方に暮れたり、自ら思考を停止したり、現実から逃避したりしつつ、外では人間関係に依り、内では自己疎外に因り、多大で深刻なストレスを長期的に抱え、時には病的に抱え、最悪の場合、致命的に抱えて、不治の病気に罹ったり、自殺したり、事故や事件に遭遇してしまう。
いわゆる「根性論」と「精神主義」そして「体育会系」というのは、「精神修養の実践躬行」と「学徳に基づく人間関係の調整」があってこそ、本当に実効を齎し、動的な経験則に基づく本物の教訓と成り、真正の「人生論を実行する原動力」と「物質主義の補完」そして「一致団結」を成す。
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