弊店

『弊店』「第Ⅰ章 」(始まりは修徳で、それからようやく厳選に精選。)〔Ⅳ:Ⅰ-Ⅳ〕

Ⅳ:Ⅰ;愛人)情報が可能である上に得であり、知識が有力である上に徳であるように、脳心を錬る。

 物が物を以て物を成す有様を「作業」と、物が事を以て物を成す有様を「業務」と、物で事を以て物を成す有様を「機械的作業」と、物から物を以て物を成す有様を「有機的作業」と、事へと物を以て物を成す有様を「知的業務」と、事の為に物を以て事を成す有様を「心的業務」と、名付けよう。作業は総じて単純であり、たとえ複雑だとしても、長期的そして実質的に観れば、結局の所、総じて容易である。これがサテライト企業並びに受け皿職場の仕事である。業務は総じて組織的であり、たとえ順調だとしても、長期的そして実質的に観れば、結局の所、総じて窮屈である。これが固定した企業並びに安定した職場の仕事である。その為、早かれ遅かれ、多かれ少なかれ、どうしても長期的そして実質的には、作業は人を怠惰な奮励努力に陥らせてしまい、業務は人を学習性思考停止に陥らせてしまう。だからこそ、「環境の所為(せい)にするな!」等と言う事(なか)れ、そう言っているお前達こそが人の所為にしているのだ。「所為」と書いて、「(かんきょう)の為に()()い為し続けては、為過(しそ)して為筋と身為を為して、過為(かい)で為果たすも、やがて為慣れるが故に為違えて、為当てつつも為(もじ)ってばかりになるも、いつまでも為置かないが故に、為遅れる上に為劣ってばかりにもなるのだ!」と学び知れ。作業を正しく機械化・自動化・複雑化・合理化して、本当に効率化・高度化・多様化・体系化にも成るようにし、そして必ずや絶対的な安全第一と徹底した労働衛生を護持し続けられるよう、頭脳明(せき)である上に道心堅固であり続けよ。そして「人の所為にするな!」と自戒せよ、「躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。」という箴言があるではないか。これを誠に確りと遂行し続ければ、崇高な理念に高(まい)な志学は続き、システムの改善とバランスの再生も続き、正確な情報に物心両用の知識の確保も続き、そして「業務」という表層は「サービス」という重層と「持続的な高度の従業員満足度」という深層を含有し続ける上に、「利徳の両方を確保」という高層が成る。

Ⅳ:Ⅱ;用物)頭が悪くなってしまわないようにし、頭を使っては、頭を良くして、頭を鍛えること。

 「意識の難問」並びに「心脳問題」は、生物学上の、そして哲学上の未解決問題の一つでもある。生物という存在は実に不思議な奇跡であり、脳・意識・心は本当に摩訶(まか)不思議な奇跡の中の奇跡である。このような、本当に至難である上に、そもそも事実上、「不可知」であるか「皆無」であるという正解を創出する理論哲学とその研究の偉業を学び知るのは、確かに、不毛な上に徒労である。だが「不毛である」は「原点回帰の好機」である事もあり、「徒労」は「創発の遠因」に成る事もあるのだ。古の哲学的で神秘的な格言にこうあるではないか、「反者道之動。弱者道之用。天下万物生於有、有生於無。」と。だから、実践哲学を以てこう言おう、「『心』という事象は熱力学的・有機体論的・生気論的な創発を実現する幻想にして実在であり、『脳』という事物は物理的・化学的・機械論的な創発を含有する実物である。脳は地と大自然に従属し、心は天と大人物に従事し、利は物と価値観に付属する通念であり、徳は天と原動力に専従する想念である。」と。心が脳を働かせ、脳は心を活かし、脳は生理に生活を・心は生気に生命を保ち続け、心脳が誠に確りと連携している上に連系して連合している内界とそれを体現した実物を「頭」と言い、実践知が豊富な脳頭を「頭脳」と言い、知性・理性・現実性・合理性・合目的性が豊富な頭脳を「地頭」と言い、自知をも数多く積み重ねた頭脳を「頭脳明(せき)」と言い、心性・感性・主体性も豊富な地頭を「地頭が良い」と言い、徳性・霊性・神性も豊富な地頭を「地頭が善い」と言う。これ故に、至誠なる頭脳労働者である上に感情労働者は、天地の化育に参画できる。先哲の「人間は一本の葦に過ぎない。自然の中で最も弱い存在だ。だがしかし、それは考える葦である。」と言う格言は、本当に奥深い!

 箴言に「学ぶに暇あらずと謂う者は暇ありと雖も(いえど)(また)学ぶ能わず」とあり、そして「言う勿れ、今日学ばずして来日ありと」とある。全く以て、学習する組織とそれを構成する学習する各個人達は、国利民福の実現・尽善尽美する文化・厚徳載福と功徳無量の完遂・恵沢に遺徳の創造の礎である!

Ⅳ:Ⅲ;理財)理想家と理論家にして行動家と実践家・指導者と教育者にして実力者と学習者に成れ。

 理想を懐く事は、気高い愚行にして辛苦に満ち溢れる追求であり、理論を成す事は偉大な小事にして有意義な徒労である。「大賢は愚なるが如し」()(とわ)()あり、また「理運を得る」と言う古語があるが、大賢は正に理想主義を個人的に・現実的に・秘かに実践躬行(きゅう)する挑戦者であり、理は小事を積み続けることで得られ、運は大事を為す為に挑み続けことで得られ、不可能と分かっても挑戦し続け、そして拒絶されると分かっても遺し伝えることで、理運は得られる。箴言に「思いて学ばざれば則ち(あや)うし」とあるように、学問を以て理想から理論を完成してこそ、安全が生じ、箴言に「学びて思わざれば則ち(くら)し」とあるように、理想を以て学問を完成してこそ、光明が生じ、格言に「先ず其の言を行い、而る後に之に従う。」とあるように、確かに言葉こそが内なる始まりだが、行動こそを外なる始まりにし、行動を実行へと強化しつつ言葉を実践し、そして後に言葉が実績に従属するものに成るようにせよ。自分で自身に要言を言い付けては、情理を尽くし、(げに)々・(じつ)々・実々(まこと)に要言を実践し、そして実績を上げた後から、基本的には要言を要人だけと通わすようにせよ。

 無能な癖に立身出世して、有能者達を困苦させては、悲憤させて、絶望させ、その一方で、他の無能者達を挙用しては、擁護して、諂佞(ていねい)阿諛(あゆ)を喜び楽しみ、また有能に成れる不能者達はいつまで経っても不能のままであり、不可能であり続ける不能者達ばかりが来ては認められて悪意の無い妨げになり、低能者達は職務怠慢か職務放棄か、あるいは大損を齎す(もたら)勤勉家に成るかであり、最終的には有能者達が自主的に辞職するようになってしまう事は、甚だ多い。無能な連中ほど却って立身出世するのは人的な理不尽であり、立身出世すればするほど却って無能に成るのは構造的な理不尽である。だからこそ、「格致日新」という有機的な教育と「整理整頓」という工学的な改善を図れ。まずは他責せずに自責すれば教育が抜本的に成り、そして人を変えようとせずにシステムを変えよ。

Ⅳ:Ⅳ;自知)「己に克ち礼に復る」・「己に如かざる者を友とすること無かれ」・「己を虚しゅうす」。

 総じて、情けは人の為に成らない。だがそれは確かに己に為には成るもの。他人達を許すのはその動物達に敗北するという事では決してない、己自身が拙劣・低劣・下劣・愚劣・(ろう)劣であるその連中から被った悪影響を徹底的に払拭する為である。他人達を赦すのはその害悪を認容するという事では決してない、己自身の一度きりの人生とその残りの限れた時間・労力・機会等までをも喪失してしまわないようにする上に確保して有意義に使う為である。相手を反面教師にして成長や進歩することこそが最高の復讐(しゅう)であり、連中の他の被害者達、そして連中の新たな関係者達を救出しては根治して自力更生できるようにする社会の構築に貢献することこそが最大の復讐であり、己自身が幸福に成ることこそが最善の復讐である。克己を達成しては、礼義を積み重ねて恭倹慇懃(いんぎん)に成れ。

 純愛とその関係は、実に極めて難しい上に苦しい関係であり、そして、実に極めて善い上に美しい関係である。「『慈悲』は『抜苦与楽』」、そして、「『四諦』は『苦諦・集諦・滅諦・道諦』」と言うが、実は「『享楽苦心』もまた『慈悲』」、そして、「『苦学・集義・惨(たん)穢溷(わいこん)』もまた『四諦の即物』」であるのだ。純愛を熱誠に追求する上にその権化である有徳な人格者は、却って、本当に天涯孤独であり、実際には、立身出世も功名利禄も、知人も友人も、配偶者も子孫も、持たないものである。しかしその者は、その万苦が発展的な解消を経て徳へと転化し、その徳は万苦を建設的に生成して道を創出し、この道こそが、享楽苦心を以て抜苦与楽を成し、苦学・集義・惨憺・穢溷を以て苦諦・集諦・滅諦・道諦を成す。「巧言令色鮮し(すくな)仁」そして「よく笑う人はよく泣いた人よく大丈夫という人はよく無理をする人」等と言うではないか。さあ、巧言令色の仁者に成って、誠心誠意から笑顔を浮かべ、笑い声を発し、談笑を行って、御持て成しとホスピタリティを成そう!

 格言に「致虚極、守静篤。」とある。宇宙の天体「黒洞(ブラックホール)」は超極の高密度・大質量・強重力で、動的かつ静的。心界の霊界の所産「魂」は超自然の高熱・至大至重なる虚無・高徳にして微妙玄通。


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