Ⅴ:Ⅰ;愛人)「人としての遠き慮りが無ければ、必ずや近くに憂い有り。」、政治への遠慮をも成せ。
「遠慮」という言葉の意味は、一つ目は「言行を慎み控えること」であり、二つ目は「辞退すること」であり、三つ目は「遠い将来を慮る」である。さて、改めて深く学ぶと、「計画」という心と脳に体の有機的で科学的な内的活動と工学的で合理的な外的活動とその内容は、人類の生物としての特有な能力とその復習と予習の兼学から成される複雑で高度な知能である。確かに、現実的・実質的には、たとえ意志堅固な上に才徳兼備の人として、極めて緻密な上に有意義な計画を確定したとしても、計画通りに進めることや進むことは稀である。そして、たとえ計画通りに進められたとしても、それは既に且つ常に潜在している遅効性失敗の起因であり、逆に、短慮軽率の由る杜撰な計画は、深刻な大失敗の起因であり、ましてや無計画であれば、それは決定的な上に致命的な大失敗の起因である。天災、特に「世界規模で大流行する病気」という天災とそれを拡大させ続ける人心を、そして人災、特に「戦争」という人災とそれを既定した天命を、深く学習しては、他人事と故事を自分事と教事として考えて、猛省と補充に深謀遠慮を決行するのだ。「計画的」が、自発的で自主的、知的で理性的、論理的で合理的、理知的で意欲的、そして現実的であるようにせよ。
本来の政治とその正真正銘の政績を本当に独学しては、政治の本質とその真正な体現者を本当に探求して、現実の政治とその害毒と害悪に害民を本当に共学し、そして修徳しては、家政を実行して、町政に参画と貢献をしつつ、徳望家に成りながら社内政治を実施せよ。理想の政治とその実現の為の不断の奮励努力と不屈の強理勁直は、たとえ全て大失敗や無駄に終わっても、道が開ける。
「行動するのに著明に成らない、習熟するのに洞察しない、終身由るのにその道を知らない者は、多い。」という古の評語は、今の標語に十分に成り、今後の標語にも十二分に成る。他人の行動を正しく評価し、技能と技術の習熟と同時に問題意識と目的意識の鍛錬を実行し、求道と窮理もせよ。
Ⅴ:Ⅱ;用物)「人工頭脳」という機器と「人工知能」という技術、そして、「徳」という人工生命。
遥か太古にて、我々人類の始祖達は、遂に「二足歩行」を以て、新しい活動を行いながら新しい環境に直面し続けた。その遥か後々の太古にて、その遠孫達である我々人類の遠祖達は、遂に「着火」と「言語」に「石器」という三つの偉大な発明を成し、この内の「着火」と「言語」の発明は、主に自然的な人為であり、そして「石器」の発明は、主に工学的な人為である。この三つの偉大な発明の遥か後の太古にて、我々人類の遠祖達は、新石器革命・農牧革命・食料生産革命・定住革命等を実現していきながら文明を築き上げていき、そして数多くの闘争と戦争を繰り広げつつ社会と国家を築き上げていった。その遥か後々に、我々人類の遠祖達は、文化運動並びに学芸振興・政治革命並びに市民革命・科学革命・産業革命等を実現していきながら民族意識並びに国民国家を築き上げていき、そしてその子孫達である我々人類の祖先達は、二度の世界大戦と冷戦・民族解放運動と独立戦争・代理戦争や内戦等を繰り広げつつ政治革命や民主革命を実現していき、そして遂には情報革命等をも実現したのだ。この世界史と人類史そして地球史の簡略な通史とその深奥な天命を抜本的・建設的・生産的・創造的に窮めていくように。まずは感動しては感激して、修道してご覧。
「人工頭脳」という機器と「人工知能」という技術、これらは文明並びに科学及び人知の偉大な発明である。さて、言葉では「発明」と書くが、現実では「暗愚」が激増し続けて止まず、言葉では「技術」と書いて、現実では「詐術」として悪用され続けては止まない。「ああ、私は太陽の下で労して成し遂げた全ての労苦を憎んだよ。なぜなら、私の後に来る者にこれを残さなければならないからだ。そして、その者が賢者であるか、それとも愚者であるかを、誰が知るのだ?」という的確な嘆き、「知恵が多いほど悲嘆が多く、そして知識を増やす者は悲痛を増やす。」という真正な気付き…この嘆きと気付きから、外界の歴史を反面教師としては、内界を再構して、自学自習自修自律し、そして自由に成って「徳」という人工生命を生成しつつ、自得しながらそれと一体化せよ。
Ⅴ:Ⅲ;理財)先住民と移民とその移動と定住の歴史を考察して、共生を目指しつつ内争を覚悟せよ。
我々人類の始祖達は、二足歩行を始めて以降、比較的に劣弱な動物として、他の動物からの攻撃から必死に逃避したり、辛うじて抵抗したり、同類を見棄てたりしながら、生き延びつつ、子孫達を遺し続けた。その遠孫達である我々の遠祖達は、食料の獲得から食料の生産という革命的な生活様態の変化を成し遂げて定住しては、文明を築き上げつつ、闘争と戦争を繰り広げながら先住民に成っていった。その遠孫達である我々の遠祖達と祖先達は、国家を築き上げつつ、侵略と移動を繰り広げながら移民に成っていった。冷戦終結以前の史実で、国内の再統一に国外との交戦や国外への侵略等は勿論の事、自国の形成でさえも、暴力を以て移動しては、侵略を以て移住して、殺傷を伴う勝利を以て先住民に成った移民が一切おらずに達成した史実は実在しただろうか?そんな史実は、「善意に友好と協調性等を以て先住民と兼愛交利の関係を構築して、先住民と共存共栄しつつ新しい住民になった移民の史実。」と同じく、ほぼ無い。この歴史の現実とその悲劇を、取り分け、「大航海時代」に「奴隷貿易」そして「植民地」という、第二次世界大戦以前のグローバリゼーションとその歴史と、「独立戦争」に「新植民地主義」、更には民族解放運動の成功と独立戦争の勝利を得た新興国の独裁政治や専制政治に民主政治とその汚職と圧政・失政・苛政・暴政・悪政・虐政を、そして冷戦終結と情報革命の実現以後の現代のグローバリゼーションとその多様性や複雑性に恣意性と創造性を、深く学び知るのだ。「善意に友好と協調性等を以て先住民と兼愛交利の関係を構築して、先住民と共存共栄しつつ新しい住民になった移民の史実。」という歴史的で革命的なグローバリゼーションの思想を懐いては、現実的なローカリゼーションを護持して、愛郷心を以て地域主義を、愛国心を以て国家主義を、博愛を以て全球主義を、兼学と兼備し、そして実践躬行せよ。
国際的で愛国的な地域主義を実践躬行しながら、多民族と多文化の理想と現実を確りと峻別せよ。
Ⅴ:Ⅳ;自知)自我を知っては、自家を知って、自意識を知り、自覚しては、自律して、自決せよ。
「なぜ私は私なのか?」、そして「どの私が私なのか?」、また「どういう私が私なのか?」等の自問に対して自答してこそ、自分の自力に拠る自分自身の為の人生が本当に実在し始める。自答がどうであれば、「現実的で客観的な大正解」は、「私は父母の性交と大自然の産物」であり、「事実」は、「私は物質で出来ており、エネルギーが自動的に在る。」であり、「真実」は、「私は存在自体と共に存在している。」である。自覚することは実存の始まりであり、自律することは実在の始まりであり、自決することは実行の始まりであり、自敬は実力の中の実力であり、学績こそが実績の中の実績であり、自由が目的から目標へと抜本的かつ進歩的に格下に成ることを「自由自在」と言い、利他が目標から目的へと根本的かつ主体的に格上に成ることは、正に「大自然の超自然な特産」であり、その特産は「有徳な人格とその学徳」という「超自然な大自然の特産」から創造された道だ。
「お国のために」という戦中の国家の標語や「大日本産業報国会」という戦中の全国連合組織とその戦意と狂気。求人、特に急募でよく見聞きする「アットホーム」と言う宣伝の言葉とその欺瞞と醜態。「同族経営」という形態の経営とその非理と惨状は、本当に甚だ多い。これらの史実から「家族主義」や「愛国主義」は、害毒に満ち溢れた悪しき危険なものとして、完全に全て拒絶して徹底的に根絶するべきだろうか?否否、決してそうではない。「名を正す」を誠に遂行せよ。言葉そして歴史に自縄自縛する、また何よりも、意図的な無知や巧妙な現実逃避と自己欺瞞をすること勿れ。「国家」という言葉を見聞きしては、情理を尽くして、再思・再考・再認・再生せよ。個人は組織の基本であり、家族は社会の基本であり、個人並びに家族は国家の基本であるのだ。実際には、国憲は大だが虚であり、家憲は小だが実であり、実が実ってこそ虚は実に成る。国政は確かに「絶大な影響力」という光の如くであるが、家政が、その光の「根本的で決定的な影響力」という光源の如くである。御持て成しとホスピタリティを応用しつつ、実正な家憲と善美なる家政を成せ。
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