弊店

『弊店』「第Ⅰ章 」(始まりは修徳で、それからようやく厳選に精選。)〔Ⅵ:Ⅰ-Ⅳ〕

Ⅵ:Ⅰ;愛人)サービス産業に「御持て成し」と「ホスピタリティ」を根本的に導入して確立せよ。

 最も知られていない上に最も下劣・低劣・愚劣で不快であるサービス産業の一つは、政治産業である。実に嘆かわしい上に残念なことではないか!しかし、そうであるからこそ、政治産業こそが最も「御持て成し」と「ホスピタリティ」を根本的に導入して確立し、そして護持し続けなければならない産業の一つなのだ。政徳を持養しては、民徳を収(らん)して、徳政を実施し、政道を完成しては、民福を実現して、国富を確立し、人間・経済・社会を開発しては、学問・芸術・文化の振興を助成して、外国人が自国に旅行や移住することも、自国民が自国で生まれ育っては仕事することも、御慶に成るような国家を保持し続ける、これらこそが、政治産業の高(まい)な理想と崇高な責務である。あの「人民軍」と「人民戦争」という革命的で政治的な軍事思想とその画期的な戦法・戦術・戦略等を誠に確りと学び直せば、学び得られる深い教訓は極めて多い。古の政治に関する遺訓に「九経」即ち「修身・尊賢・親親・敬大臣・体群臣・子庶民・来百工・柔遠人・懐諸侯也。」というものがあり、これを誠に稽古して確りと新規すれば、こうなるだろう、「学・徳・身を修めて徳政と健康を成し、賢良方正な専門家達を尊愛して哲人政治と英断を成し、善良な親近者達を親愛して家政と家庭生活を続け、大臣達を敬重して憲政と善政を成し、群臣の誠意と忠(かん)を体して議政と廉政を成し、実子達を慈愛するかの如く庶民を慈愛しつつその民徳を尊師として師事し、諸産業の道義及び哲理を窮めて現場に来(じん)し、温柔(とん)厚を以て遠古の哲仁達と遠来の哲仁達とその教導を受容し、誠に諸国の民徳が懐くようにして徳高望重を実現する。」と。これもまた、「御持て成し」と「ホスピタリティ」の理念とその実践躬行(きゅう)が成し遂げる偉業であるのだ。民徳から学び、社徳から教われ。

 「役人根性」や「御役所仕事」等の言葉の意味とその実態が、否定的なものから肯定的なものに成るように、行政サービスにも「御持て成し」と「ホスピタリティ」を根本的に導入して確立せよ。


Ⅵ:Ⅱ;用物)「不称其力。称其徳也。」、価格に性能や品質そして効用等の深奥である「徳」を成せ。

 「バーチャルYouTuber」と言う職業とその人々に深愛され続ける俳優達は、情報革命とその極めて高度で非常に複雑な科学と工学の文明的な傑作であるが、それと同時に、極めて巧妙な美的仮想現実とそれを以て非現実的かつ現実的に美を成す芸術家達の文化的な佳品である。なるほど、確かに、彼等彼女等の空間芸術は実に端正で美しい、要するに「美形」であり、その時間芸術も実に技巧的で美しい、要するに「美観」であり、その総合芸術も確かに機械的で非現実的でありながらもやはり実に現実的な上に有機的である、要するに「美技」である。しかし、美形と美観に美技等を包容しては、確立させて、実在させているのは、正に他ならぬ彼等彼女等の世に知られない並外れた不断の奮励努力と内なる極秘の素晴らしい人格、要するに「美徳」である。これこそが、彼等彼女等に対する世道人心の本当の関心と本物の称賛の根拠なのである。(たん)美は極めて危険であるが実に有意義であり、審美は極めて困難であるが実に奥深く、美化は確かに至難であるが実に至福だ。

 古の先哲の遺訓にこういうものがある、「君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人の交わりは甘きこ()(まざ)()ごとし。君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。彼の故無くして以て合う者は、則ち故無くして以て離る。」と。さて、性産業も、歴と(れっき)したサービス産業であり、そして実に極めて特殊な肉体労働・感情労働・芸術・創造産業・文化産業である上に、生殖本能の特異な異変の一つであり、恐らく人類最古のサービス産業の一つではないだろうか?ではなぜ、この必要不可欠な職業並びに産業は、秘かに極めて高い需給があり続ける上に、総じて非常に高い報酬があるにも拘わらず、否定・嫌悪・忌避・拒絶・批判・非難等され続けるだろうか?それを深く考察すればする程、生物の宿命的な理不尽・動物の本能の欠陥・人間の矛盾・社会の偽善・文化の欺(まん)を多く見出すことが出来る。果たして一体「善」と「美」とは何だろうか?生命並びに健康を誠に大切にするのは実に至難だ!「欲」という欺(まん)的な生命力…「徳」という抜本的な生命力を成せ!


Ⅵ:Ⅲ;理財)財源の確保だけではなく財源の創造も遂行し、財力だけではなく財用にも注意せよ。

 財政が、社会的から利己的へと凋落(ちょう)しては、公共的から()意的へと没落して、公益公正から私利私欲へと堕落し、そして、税政が、富の再配分から富の()占へと逆戻りしては、公共サービスと行政サービスの形骸化の再度の激化を促進して、政治不信の再発と社会不安の多発を引き起こす、という惨状は、甚だ多い上に、構造的である上に宿命的な悲運であり、そして人間的な歴史的な循環である。しかし、これらも景気変動と同様の現象であり、これらの現象自体は確かに実際的な問題であるが、現実的な問題は、人民の生活様式とその需給であり、根本的な問題は、人間の本能及び欲求とそれらに対する教学の有無と質量である。政府とその財政がよく「財政難」と嘆くが、これは総じて浅知・偽善・欺(まん)の自業自得である。企業とその経営陣がよく「経営難」と嘆くが、これも総じて浅知・偽善・欺瞞及び無責任である。家計とその大人達がよく「生活苦」と嘆くが、これも総じて浅知・偽善・欺瞞の他力本願である。個人とその決断がよく「人間不信」と成る事、これは確かに正解だが、それでもやはり間違った自力本願である。「財源」の形式的な意味は「物事を実施する為に必要な財貨が出て来る(できごと)。」であり、その実質的な意味は「各自の欲を達成する為の個人的な意欲とそれに基づく集団的な評価と組織的な判断に社会的な合意形成と文化的な共通等に由って、一般的な価値観を護持しては、不可欠な事物を揃えて、必要な財貨の量を定め、そして需給を実現する(ありさま)。」である。故に、「財(できごと)の確保」は副次的な責務であり、「財(ありさま)の創造」こそが根本的な責務である。個人は怠慢で意図的な無知に徹し続け、家計は受動的で無学のまま只管(ひたすら)に不平不満に駄弁や無駄話を述べ続け、企業は無能ばかりが昇格して搾取や詐取に注力し続け、政府は無徳に満ち溢れて偽善や欺瞞だらけの合法の犯罪組織であり続ける、こんな惨状では、財(できごと)は終に尽き果てる上に、財(ありさま)も腐って毒に成る。まずは、財用を精選して、財力を増強することだ。


Ⅵ:Ⅳ;自知)「君子は義に(さと)り、小人は利に喩る。」に「君子上達、小人下達。」そして「君子不器」。

 「道徳経済合一説」という仮説は、理論的には正しいが現実的では間違いである。「道徳経済一体思想」という思想は、理論上は間違いであるが実践上は正しいのだ。前述の仮説が理論的には正しいが現実的では間違いである原因は「天理人欲」である。天理は至理にして不合理であり、人欲は原動力にして理不尽である。天命を知っては、志学して、情理を尽くし続ける研究者・哲学者・思想家・理論家・教育家等でさえ稀であるのに、それを成し続ける企業者・経営者・実業家・篤志家等になると極稀であるものだ。前述の思想が理論上は間違いであるが実践上は正しい理由は「天啓人道」である。天啓は、不情にして不生である上に不言にして不教であるが、教理を生じさせる道理であり、人道の中の人道である上に、あらゆる人道を成す人道は、「求知心を以て学んでは、探究心を以て更に学んで、知識への至純なる深愛を以て常しえに学ぶ。」即ち「有徳を人格とその生涯学習」である。故に、即物的に現実を分析して認容すれば、道徳と経済は一体であると考えるのは甚だ間違いであり、理想的に現実を批判して挑戦すれば、道徳と経済が合一するようになるのことは可能だ。さあ、御持て成しとホスピタリティを以て道徳と経済の合一と一体化に貢献せよ!

 次の三つの古語にある、「如有王者、必世而後仁。」・「善人為邦百年、亦可以勝残去殺矣。」・「苟有用我者、期月而已可也。三年有成。」と。さて、史実を考察すると、自身の一世捧げて奉公尽忠し続けた独裁者達は、その死後にようやく仁が、少しずつ完成するものである。これらの実例から、仁政がいかに困難であるのかと同時にいかに重要であるのかを学び知ることが出来るである。故に、政治家ではない企業家や教育家は、立派な経営や教育を実施して、間接的そして抜本的に参政せよ。いわゆる「老舗」の内情が、老害達の巧妙な巣窟と老朽化した経営陣ではなく、老成円熟な経営陣と老成持重な労働者達の相思相愛に基づく存続と商売繁盛であれば、それもまた「国政」に絶大な好影響を与える「邦政」である。「商い三年」つまり一に「修徳」、二に「積徳」、三に「盛徳」だ。


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